昔語り



「今日は冷えますわね」
火桶の炭を女房に興させながら藤姫はあかねに話しかけた。
「今夜は雪になりそうですわ」
「どうりで冷えるはずだね」
あかねも蔀の隙間からどんよりとした空を見上げた。
「こんな日は火桶の傍で昔語りなどいかがでしょう?」
藤姫の乳母が餅を捧げ待ちながら入ってきた。
「昔語り?」
「はい、わたくしの若い頃のお話でございます」
「まぁ、面白そう、神子さまお聞きになってみませんか?」
「うん」

◆◇◆


「あれはわたくしが若い頃、そう、ちょうど今日と同じような雪になりそうな寒い日のことでございました。
あの日もおつかえする姫君の傍でわたくしたち女房は四方山話に花を咲かせておりました。女と言うのはかしましきもの。話題は衣服のことや、恋文のこと、お年頃の姫君にはお聞かせするのを憚るような通ってくる男のことなど話す者もおりました。あまりの寒さに蔀など皆下ろしてしまい、夜のように紙燭に灯を点し、皆で固まって夢中で話していたのでございます。
そのうち話は宮中の噂話に到りました。
『染殿のお妃さまの話をご存知?』
一人の女房の話にそれまで退屈そうに脇息にもたれ、小さく欠伸をかみ殺しながら聞くとはなしにわたくしたちの話を聞いておられた姫君が身を乗り出されたのです。
『染殿のお妃?そのような方がいらっしゃって?』
『いえ、いまの御世のことではございませぬ。これはわたくしの母から聞きましたこと』
『そう』
『染殿お妃さまと申せば天下一の美女と聞えた方でいらっしゃいました。大臣の姫君で帝のご寵愛も篤く、まぶしいほどにときめいておられたそうにございます』
『まぁ、そのようなお幸せな女人がどうかなさったの?』
『はい、このような雪の日にお話するのも季節はずれかと存じますが』
『決まりから外れたことはわたくし大好きよ。お続けなさい』
『はい、それはある暑い夏の日のことでございました。その夏はことのほかうだるように暑く街では死人がでるほどでございました。いつもは慎み深いお妃さまでしたがさすがにその暑さは耐えがたかったのでございましょう。ご自分の御殿「染殿」の奥深い一室で袴を直に身につけ薄物のみをはおって昼の暑さを凌いでいらっしゃったそうです。
そこへ帝の夜居の僧が通りかかりました。
僧ともうしてもまださほど老いてはおらず、良い男ぶりであられたとそれは後に母から聞きました。その僧がふとお妃を垣間見てしまったのです。薄物を通して、つんと上を向いた形の良い乳房や、引き締まったお腹が見え、その白い肌は薄物を通しているからこそいっそう艶かしく…。暑さにややおやつれになった美しい顔はいっそうろうたけて僧の目にうつりました。それまで女人と言うものに一度も気など引かれたことのなかった高僧は一目で熱い恋に落ちたのです。

僧はあろうことかお妃にむしゃぶりつき、お妃は悲鳴をお上げになり事は露見いたしました。しかし、法力高い高僧のこと、祟りをなすのをおそれた帝は罪はとがめずただ、殿上を禁じ放免になさったのです。』
『まぁ、おぞましい』
口々に女房達は僧を非難いたしました。ただ一人姫君だけが
『そうかしら。たとえ僧だろうと人を想う心は止めがたく、あふれ出て来る物ではないかしら?』
そう仰いました。
『まぁ姫さまなんということを』
『それで?それから僧はどうなって?行い済まして仏道にお励みになったの?』
姫君は話の続きを促されました。
『はい、僧は諦めらめられなかったのです。お妃に逢いたくて逢いたくて。でも宮中への出入りを禁じられてはそれは適いません。
「ならば私は鬼となろう。鬼となってその神通力を持ってこの恋を果たそう」
僧は食を絶ち、目ばかりぎらぎらさせながら死んでいきました。
『なんと…』
女房達は顔を覆い、おぞましそうに目を細めました。
『憐れな…ひとはそこまでひとを想うことができる生き物なのね』
姫君はそういう方でした。
『お話はここからが本筋でございます。
僧はたしかに強い法力を持っておりました。僧の死後、お妃は気鬱の病にかかりました。どんな高僧を呼んでもいっこうに効果が上がりません。ところがそんなときあの僧が念願の通りおぞましい鬼の姿となって宮中に現れたのです。鬼はどのような扉もやすやすと通り、染殿のお妃のもとに参りました』
『まぁ恐ろしい』
『それで、お妃はどうなさって?』
『おどろいたことにそれまで塞ぎこんでいたお妃は喜びの声をおあげになり うれしそうにお笑いになって 鬼をお褥にお迎えなさったのです』
『それは』
『なんという・・・』
『恐ろしいこと』
『ひとはお妃は鬼の幻術にかけられていたのだと申します』
『鬼と皆の前ではばからず睦み会うお妃のお姿はこの世のものとも思えぬほどお美しかったとか』
おびえる女房達の中でただひとり姫君は真剣に話に聞き入っておられました。
『そう、お美しかったの』
『はい、ですがお妃を深く愛しておられた帝は手をつくして僧や陰陽師を集め鬼を調伏なさいました。鬼が現れなくなったとたん、お妃は鬱々と楽しまず心をどこかに忘れていらっしゃったかのように一生を御殿の中で過ごされたとか』
『そう』
姫君は考えこまれるように扇をパチンと閉じました。
『わたくしは疲れました。おまえたちはもうお下がり』
ですが、姫君のことが心配だったある女房がそっと物陰から見ていたのだそうです。
姫君は少し風変わりな所がおありで、物事を深く考えることがお好きでした。姫君の父上の大臣などはそれを「理が優って女らしくない」と案じておられるほどで。いえ、お顔は大変愛らしく、大臣はやがて姫君を入内させようというおこころづこりであったと聞きます。ただ、時の帝は姫君より遥にお年若くていらっしゃいました。ありていにいえばまだお子さまでいらっしゃったのです。

女房がそっと見守る中、姫君はほの暗い庭に降り立たれたのだと申します。
深窓の姫君はけっして自邸の庭にすら降りぬもの。この姫君はこういった点でも少し風変わりな方でした。でもわたくしは姫君のそんなところも大好きでした。

『まだ日暮れには間があるでしょうに暗いこと』
姫君は独りごち、庭の藤棚に立たれたと申します。
細い笛の音がどこからか聞こえ、姫君は藤棚の下に目をこらされ
『だれ?だれかいるの?』
と呼ばわれました。
姫君の前に背の高い男が立っておりました。
『だれか、ここに怪しい人…』
女房も急いで武士たちをよぼうとしたのだそうでございますが足が動かず、声を出すことも出来なくなっておりました。
男は姫君の細い身体を抱き寄せその口脣に人差し指を当てました。
『・・・・あなた・・・誰?』
『・・・・・』
うすら笑いを浮かべるその男は世にも奇妙な風体をしておりました。紅い直衣に零れる長い髪は黄金色で、その目は湖のように深い碧であったと申します。
それはそれは美しい、神とも見まごう姿であったとか。

『あなた・・・鬼?』
『鬼は醜いおぞましい姿をしているのではないのか?』
『・・・わたくしはそうは思わないわ』
『ほう。そしておまえは私を恐れない?』
『恐れてなんかいないわ』
『だが震えている』
『それはあなたが鬼だからではないわ。わたくしの身体をそんなふうに捕えているから』
『鬼の話をしていたな』
『だから…来たの?』
『そうかもしれぬ。何かによばれて私は来た』
『あなたが染殿のお妃の鬼?』
『だとしたら何だという?』
『思ったっとおりだった』
『何を思ったというのだ?』
『鬼は美しかったんだって。お妃は鬼に恋をなさったのだって』
『・・・・・おめでたいな。若い娘らしい綺麗ごとだ』
『・・・・・もしかしてあなた寒い?』
『いきなり何を』
『だって寒そうなお顔をしているわ』
姫君の手が鬼の頬に触れました。
『冷たいわ。頬が』
『…おまえは変わった姫だな』
『よく言われます』
『私が恐ろしくないのか』
『あなたが染殿のお妃の鬼だったらいいと思うわ』
『鬼に魅いられたいのか?術をかけられおぞましいものと睦まされるのかもしれぬのだぞ』
『そんなことわかったものではないと思わない?わたくしはお妃は最初から僧のことを憎からずお思いになったと思うの』
『ではなぜ僧に想いを遂げさせてやらなかった?』
『だれだって驚くわ。いきなり飛びかかられたら。それにご自分の立場もある。思わず声をあげてしまったけれど、それで僧が亡くなってしまって一番心を痛めたのはお妃だと思うの』
『おまえは本当に変わっている』
『そうかしら。ひとりくらいそんなことを思う変わり者がいたっていいと思わないこと?みんなが同じじゃつまらないわ』
『・・・なるほどな』
『わたくしはお妃は僧がお好きだったと思うわ。だからこそ痛ましい。鬼と引き離されて、一生を窮屈な御殿で鬱々と過ごされたなんて』
『…おまえはどうなのだ?』
『わたくし?』
『大臣の姫で器量もいい。行く末は妃候補だろう』
『…そうね』
姫君ははじめて憂いを帯びた目で俯かれました。
幼帝のお妃では帝が大人になられたころはもう姫君は…
『鬼に攫われる気はないか?』
ふと鬼が姫君を試すように申しました。
『え?』
『私とともに来る気はないか?』
『わたくしも鬼になるの?』
姫がまっすぐ鬼を見上げます。
鬼もさきほどまでの薄ら笑いをやめ、マジメな顔で答えました。
『おまえが望むならば』
『いいわ』
『・・・・おまえはまことに風変わりな姫だ』
鬼は微笑むと姫君を抱き上げ、はじめて動けない女房を見ました。
『姫は鬼に攫われたと触れろ』
声も出せぬまま女房はなすすべなく二人を見送ったと申します。
『姫、名は何と言う?』
『名などもういりません。鬼になるのですから』
『そうか。では参ろう』
それが女房の耳に残った姫君の最後の言葉でした。」



◆◇◆

「・・・・・不思議なお話しですわね」
ほうっと溜息を吐くと藤姫は体の力を抜いた。
「その後姫君の消息はわからないの?」
「はい、父君の大臣は手をつくしてお探ししたのですが見つからなかったと申します」
「そっか・・・でもきっとそのお姫さまは幸せになったと思うよ。そんな気がするんだ」
「神子さま」
女房が灯りの油を継ぎ足した。
「そろそろ夕餉をお持ちいたしましょうか」
「うん、お願いします」
あかねは話に夢中で忘れていた食欲を思い出したようにえへへと笑った。
「今日は詩紋さまがお作りになった御菓子をお付け致しますわね」
「うわー。うれしい。なんだか甘いものが食べたかったの」
「はい、ではすぐにお持ち致します」
あかねの食膳を用意するべく 女房は部屋を辞し、簀縁に出た。

「もうすっかり日が暮れたこと」
冬枯れの庭は寂しく、藤棚も精彩がない。
「鬼が出てきたのはこんな日だったのよね」
背中の辺りがなんだか寒く感じるのは気のせいか?
女房は背後をなんとなく気にしながらそれでも藤棚から目が離せない。
(馬鹿馬鹿しいわ。だってこのお邸のお話ではないもの)
それでも急ぎ足になるのはやはり怖いからで…
「待って・・・。乳母殿はまるで見ていたようにお話なさったけれど・・・まさか」
乳母は若い頃からこの左大臣家に仕えていたと聞いたような気がする。
「ということは・・・」
「何をブツブツいっている?」
「きゃっ」
いきなり声をかけられ飛びあがるのも無理からぬ事であろう。
「何を驚く?」
「泰明・・・さま」
そこには安倍晴明最強最後の弟子安倍泰明そのひとが立っていた。
彼は神子あかねを守護する八葉、地の玄武である。
「すみません」
「・・・・何を気を揺らしている?」
「い、いえ〜」
泰明を鬼と間違えた等と口を滑らせては大変なことになる。
なるのだが・・・
ジロリと睨まれては白状せぬわけにはいかず。
それでなくとも泰明は疑問に思ったことはとことん突き詰めるタチなのである。
「じつは・・・」


「・・・・なるほど」
「お怒りでは?」
おそるおそる泰明を見上げ伺う 女房に泰明はにこりともせず答えた。
「この邸ではありえぬ話だ」
「は、はあ」
「この邸には私が厳重に結界を張っている。神子の住むこの対屋の周囲にはなお厳重に。鬼など近づく筈もない」
「はあ」
「くだらぬ」
「すみません」
そうばっさりと言い放たれては一言もない。
ここはこれ以上お小言を食らわぬうちに退散するほうがよさそうだ。
「では、わたくしはこれで〜」
「で?」
「は?」
振り返ると真剣な泰明の異色の瞳が 女房を見下ろしていた。
「おまえならなんとする?」
「は?」
「鬼についていくのか?」
「鬼に・・でございますか?」
「ああ」
「そ・・そんなこと・・・・ありません」
あるわけないではないか。
想いは届かぬにしろ 女房が好きなのは目の前のこの陰陽師なのだ。
「だろうな。おまえのように粗忽者は鬼も連れていかぬだろう」
「・・・・・ぐ。・・・・・あはは」
相変わらずムゴイことを平気でいう泰明にぐっさり内心傷つきながら 女房は笑ってごまかした。
そんな 女房を見下ろし、泰明はふっと溜息をこぼす。

ふわりと小さな白いものが天から落ちてきた。
「あ、雪です!泰明さま、雪です」
「雪だ。それがどうかしたのか?」
「…ど、どうもしませんー」
このひとに雪を一緒に愛でてもらうことを期待したわけではない。ないが・・・これが鷹通なら歌でも一首。友雅なら口説き文句のおまけつきで一緒に楽しんでくれるのだが。
「・・・ おまえ
「はい」
「雪だ」
「は?・・・はぁ。ですからわたくしが」
「雪は冷える。もう1枚衣を重ねておけ」
「・・・・はい!」
「神子にも忘れるな」
「はい!」
ではと言ってスタスタ神子の部屋に歩いていく陰陽師の若草色の髪の先が渡殿の曲がりに消えてしまうまで 女房はその場に立ち尽くして見送っていた。

心が温かかった。

「いけない、神子さまの夕餉!」

バタバタと渡殿を走りかけて「いけない、いけない」と早足で歩き出す。



降り始めた雪は今夜中に庭を真白に染めるだろう。