温度







「先輩」

「譲くん」
放課後、HRが終わり、礼もそこそこに帰り支度を急ぐ私の前に譲君が現れた。

「今日、部活ないんです。だから一緒に帰りませんか?」

「ごめん!ちょっと急いでるんだ。ごめんね?」

『ごめんね』という印に拝むように譲君に手を合わせると、譲君はため息交じりに複雑そうな顔で笑った。

「わかりました。じゃあ、先輩、気をつけて」

「ほんと、ごめんね!」

机の中の教科書をバッグに詰め込むと、教室を飛び出す。
わざわざ迎えに来てくれた譲君にはほんとうに悪いと思うけれど。

『廊下を走るな!』すれ違った先生から注意を受ける。

「ごめんなさい!」

走るのはやめたけれど、おかしいくらい早足で歩く。

昇降口では靴を履く時間ももどかしい。

早く、早く。HRが長引いた所為で待ち合わせの時間よりもう15分遅れている。

早くいかないとあのひとは…。

きっと「だるい」とか言って帰ってしまう。

玄関を出た私の足は地面を蹴って駆け出していた。










楠の幹に凭れて彼は立っていた。

腕組みをして目を閉じている。

声をかけようとして思わず見とれてしまう私がいる。

なんて・・・なんて綺麗な人なんだろう。

鎧姿も、片肌を脱いだ狩衣姿も美しかったけれど、シンプルなシャツと長い脚を覆うパンツが彼の鍛えられた肉体を際立たせている。

銀糸の髪に紅いシャツがよく映えている。

風に吹かれて揺れる髪をうるさそうに無意識にかきあげる仕草も、ただそれだけのことなのに、なにか優雅なのは彼の生まれ育った環境のせいなのだろうか。

そんな彼が周囲の目を惹き付けないはずはなく、ほら、彼の傍には幾人もの綺麗なお姉さんたちが自信ありげに魅惑的な微笑を浮かべて彼を見つめてる。
その誘惑の眼差しは同じ女の私かた見てもドキっとするほど艶やかだ。

いやだな・・・と思う。

でも彼が人目を引きつけるのはその容姿や所作から当然のことで。
普通に動くだけなのに舞を舞ってでもいるかのような錯覚を起こさせるのだ。
それでいて軟弱な感じがしないのは鍛え抜かれた肉体の所為。

思わずため息が零れる。
こんなに彼に魅せられている自分に。





彼は時折眼を開いては気まぐれに彼女たちの話を聞いているようだ。
きっとあの世界の宮中でもたくさんの女官さんに囲まれていたに違いない。
そんな彼のもう目にすることもない過去にさえ、妬く自分がいて。
だって、私は彼のすべてが欲しいのだもの。

やがて、ひとりの女(ひと)が彼の首に腕を廻した。
私の胸がきゅっと痛む。
濡れた艶やかな唇で 彼に一言二言何かを話す彼女。
こういうとき女性を振り払ったりは・・しないんだろうなぁ。
なんっていってもお貴族サマだし。
きっとお綺麗で酷薄な笑顔を見せて、言葉遊びや大人の火遊びを楽しむんだ。

気まぐれで残酷で・・・でも美しいひと



本当なら私みたいな小娘の手の届くひとじゃないのかもしれない。
だって、私は気のきいた受け答えもできないし、彼の口から飛び出す漢詩や和歌なんか全然わからない。
私に出来ることは、剣で彼と語り合うことだけ。





ふいに彼の眼がまっすぐ前を捉える。
気だるそうにその唇が動き、さっと顔色を変えた彼女が恐れを抱くように腕を解きばたばたと走り去った。
周りのひとたちも強張った顔で後ずさる。

やがて、彼は意地悪な微笑を浮かべた。

「来いよ」

その眼は射抜くように私に向けられていて。

その強さに吸い寄せられるように私は足を踏み出していた。
たぶん、彼が満足するような剣の会話ができるのは私だけだろうから(だってこちらの世界に剣で知盛と渡りあえる女の子はそうそういないだろうし)それだけが私の支えだから。



「出かけたいというから来てやったのに、待ちぼうけとはつれないことだ」

やっぱり気だるげに貴方は幹に預けていた身を起こした。

「ご、ごめんなさい。急いだんですけど、HRが長引いちゃって」

「急(せ)いているふうには見えなかったが?」

ってことは私がここでずっと見ていたこと、気づいてたのね。

「いつから?ずっと知らん顔してたくせに」

「覗き見は楽しいのかと思ってな」

「楽しいのは知盛でしょ。綺麗なお姉さんたちに囲まれちゃって」

「俺は何もしていない。女が勝手に寄ってきただけだ」

ええ、ええ、そうでしょうとも。
誰だってあなたに魅せられずにはいられない。
綺麗で、格好良くて、優雅。退廃的でさえあるのに内には荒ぶる魂を秘めていて…

私なんか横に並んでも絶対釣り合ってないもの。

私のネガティブな考えを見透かすように にやりと貴方は笑う。

「べ、べつに!妬いてなんかないからねっ」

顔がかっと熱くなる。ってか、これじゃ妬いてるって自分から申告してるようなものだ。私のバカ。

「ほう、妬いて下さっているのか」

「妬いてない!」

「俺にあのぞくぞくする快感を与えられるのはおまえだけだ」

だからその言い方がやぁなのよ!まるで私が剣だけだっていってるみたいじゃない!
むっとした感情がたちまち顔に出る。

「くっ。相変わらず物分りの悪い神子殿だ。日毎夜毎にあれほど教えてやっているというのに」

「な、なに?」

「閨の中で・・・おまえもだろう?」

「ね、ね、ね、」

「閨。ああ、お前の世界ではベッドというんだったな」

きゃ〜〜!!さらっとなんてこというの、この男は!

火照る頬を隠そうと顔を覆う私が面白いのか知盛はまたくっくっと笑う。


からかわれてる。完全にからかわれてる。

「ん、もう!」

「で、どうするんだ?おまえの買い物に付き合えばいいのか?それとも…」

意味ありげな視線に胸がとくんと高鳴る。

「…おや、神子殿は我が腕に抱かれることをお望みか?やはりまだ足りないというわけか。まったく貪欲な女だ」

「ち、違う!」

ゆうべだって、あまり寝てな・・・・ち、違う!

違わないけど違う…ってあれ、私は何を考えて…

落ち着け、落ち着け私!完全に遊ばれてるぞ。



目の前には意地悪な微笑を湛えた熱くて冷たい男。

「そうだな。密事は夜がいい」

「だーかーらー」

「行かないのか?」

「もう…。(はぁ)行く!」

口では彼に敵わない。気だるげ〜な話し方をするくせに、ひとの痛いところばかりついてくるんだから。いぢわるなのよ。

この仕返しはどうしようか。彼が嫌がりそうな店に連れてっちゃおうかなっ。

「何の悪巧みだ?」

「な、何も」



そっと彼の腕に私の腕を絡める。

気だるげに口から出る言葉とは裏腹のその温かさ。

振りほどかれることのないその温もりに安心している私がいた。