『朝食のお味は?』



「おはようございます!」
有川家の離れに望美の明るい声が響く。
平知盛、重衡兄弟が居候している一画だ。

「ああ、おはようございます。十六夜の姫君」

顔を洗い終わったのだろう。身支度を済ませた重衡が新聞を手に玄関先に出てくると爽やかに望美を出迎えた。

「もう、重衡さんったら、いい加減その呼び方はやめてくれません?」
相変わらず慣れなくて望美は頬を紅く染める。

あの異世界では添っていたように思えたその雅な呼び名も元の世界に戻ってからはなんだか気恥ずかしい。
が、重衡にはまったくそんな気恥ずかしさはないらしい。

「姫君の御名は愛らしく趣き深いものですが、皆が呼んでいるではありませんか。私は私だけの呼び名で貴女お呼びしたいのです」

「・・・・。」

望美はいっそう真っ赤になり口をパクパクと動かした。こういうことを日常的に素で言うから困るのだ。

「そ、そうだ、朝ごはんを作ろうと思って来たんです!」

手に持った材料入りの袋を見せる。

卵焼きと味噌汁は毎日母の特訓を受けた。
望美の料理の腕前は譲の愛をもってしてもフォローしきれないものであり(譲は望美の作ったものならばどんな代物でも喜んで完食しただろうが)二人の元公達においそれとは食べさせられないという自覚の元、特訓に特訓を重ねたのだ。

毒見役の父と譲には気の毒であったが(父は最近胃薬を常備するようになった)で、昨夜やっと母から「これなら大丈夫」というお墨付きを貰い、休日の今日、勇んで隣家の離れにやってきたのだ。

将臣の家の離れは昔、彼らの祖母である菫が住んでいた。
二階屋で小さいながらもキッチンやバスルームも完備してある。
貴族であった彼らにはかなり手狭かと思われたが、望美が危惧することもなく二人はその生活に馴染んでいっているようである。

「姫君が朝餉を?」

「はい、まだ簡単なものしか作れないですけど」
簡単も簡単、ご飯に出し巻き卵、菜のおひたしに、しじみの味噌汁、魚の干物である。

「姫君、お手づから私のために…嬉しいですよ」

にっこり微笑む重衡の顔は朝っぱらから思わず眩暈を起こしてしまいそうなほど美しい。
まったく隙などない美しさである。

一度くらい寝起きの(つまり隙だらけの)重衡さんも見てみたい気がするけど…などとつい考えてしまう。

「姫君?」

「え、えと、とにかく仕度しますので、重衡さんは向こうで待っててくださいね」

「え?傍にいてはいけないのですか?料理をしている姫君の姿もきっと愛らしいと思うのに」

「し、重衡さぁんっ」
耳元で甘く囁かれて望美は涙目になった。

「ふふ。やはりおかわいらしい」

「も、もう!ほら、包丁を使うんですから離れてください。ね?」

「わかりました。何かお手伝いすることがありましたらお声をかけてください。譲殿にお教え頂いて私もいろいろなことができるようになりましたし」

(譲く〜ん、余計なことまで教えてないでしょうね)

望美が出来る料理といえばまだ朝食メニューのみなのである。しかもここに到るまでには父と譲の『聞くも涙、語るも涙』の献身と犠牲があったればこそなのだ。

内心汗をかきながら、望美は手を振った。

「大丈夫ですよ。お任せください!」

「ふふ、わかりました。では楽しみにしておりますよ」

(ふぅ…重衡さんったら天然で女の子を口説くんだもの、まいっちゃうよ)

甘い視線を投げてくる重衡をようやくキッチンから追い出し、気を取り直して望美は包丁を構えた。

(さて、やっつけますか!)


やがて小一時間ほどするとキッチンから炊けたご飯の匂いとともに卵焼き、味噌汁、焼き魚の匂いが漂ってきた。

「重衡さん、できましたよ…って。あれ?知盛まだ起きてないんですか」

「ええ。兄上をこの時間に起こすのはなかなか大変なことなので。そうだ、貴女ならなんとかなるかな」

「え…わ、私?」

「ええ。私が起こしてもいいのですが」

重衡は納戸に視線を送った。

「仕舞った武器を出してこないことには」

「へ?」

「ですから、兄はとても寝起きが悪いのです」

「は、はあ」

確かに知盛はいつも気だるげだし、もしかしたら血圧低いのかな〜と思わないでもない。

「機嫌が悪い日にはいきなり二刀で斬りつけてきますからねぇ」

「…げ」

(ま、枕の下に刀とか敷いて寝てるとか?)

「愛しい貴女にまでまさかそんな真似はしないと思いますが」

「…いえ、むしろ喜んで打ち込んできそうな気がしますが」
冗談ではない。知盛ならやりかねない。

「ふふふ、まさか。ですが兄上は寝ぼけているときのほうが強いですから」

困るんですよと重衡は言うけれど一向に困っている素振りはない。

「…それ、本当ですか」

ぎくりと聞き返す望美を見て重衡はにっこり笑った。

「なら、やはり私が行きましょうか。大事な貴女をそんな危険な目に合わせるわけにもいきませんしね」

(でも、知盛の寝起きか、ちょっと見てみたい…かな)

「あの、やっぱり私が行ってもいいですか?」

「おや、行ってくださるのですか。それはありがたい。では一応これをお持ちください」

重衡は廊下のクローゼットの中から太刀を取り出した。
それを軽く一振りする。
優雅で舞うように見える仕草だが彼もまた歴戦の戦士でもある。
平泉で幾度も目の当たりにしたが「方天戟」という武器の使い手だ。
望美の見たところ太刀の腕も相当なレベルに達しているようだった。

「貴女の使い慣れたものではありませんが、これならばそう重くもないと思います」

この兄弟はいったいどれだけのものをこっちの世界に持ってきたのだろうか…というか、武器なんか持たないで普通に起こしたいものだ。

軽い頭痛を感じながらも望美は神子業で培われた根性で気を取り直す。
いちいちひっくり返っていてはこの兄弟はじめ八葉たちとも付き合えはしない。

「ありがとうございます」

望美は(かんべんしてよ〜)と願いながらも重衡から太刀を受け取ると二階に向った。

「気をつけてね」

なんて暢気にも取れる言葉が後ろからかかった。

これでも『腕に覚えあり』の望美だが、殿方の寝室に入るのは久方ぶり。
(異世界では譲や朔に頼まれて八葉たちを起こす役を引き受けていたものだ)

それも意中の男性とあらば緊張するのも無理はない。しかもいつ何時斬りかかってくるか知れない危ないヤツとあっては。

「知盛…?」

そっと開けた知盛の部屋は和室を改築した洋室で、それほど広くはない。

「あーあー、つけっぱなし」

スクリーンセイバーが動くパソコンに目をやり、望美はため息を零す。仕事なのか、遊びなのかこのところずっと知盛はパソコンにはまっているのだ。

「煙草、吸いすぎだっていつも言ってるのに」

太刀を放り出すと、堆くたまったトレイの吸殻を火が完全に消えていることを確認して、そのへんにあったビニール袋に捨てる。
寒いだの暑いだのだるいだの言ってなかなか表に出ない知盛に譲がやけくそで教えたパソコンだったが、それがいたくお気に召したと見える。

知盛は怠惰ではあるが頭脳明晰でもある。
たちまち現代人であるはずの望美なぞ足元にも届かないレベルに到達してしまった。いまや先生役の譲にもちんぷんかんぷんなことを扱える。
どうやらネットで株のようなものに手を出しているらしかったが望美にはよくわからなかった。
将臣が「大丈夫だ。合法的だから」というので一応は安心している。



あの和議前夜に斬り結んだあと、邸に帰り神子とともに異世界に行くと突拍子もなく告げた息子に、これまた突拍子もない父、清盛は餞別と称して持ちきれないほどの砂金を持たせてくれた。
和議に荼吉尼天が暴走して八葉とともに成り行き上、重衡までこちらの世界に来ることになってしまったのだが(ちなみに、その戦闘に知盛は参加していない。ダルいからである)
その砂金のおかげで当座の生活は充分支えられていた。
八葉と違って知盛や重衡には龍神の加護はあまり望めそうもないと…少なくとも本人達は思っているようである。
その砂金の一部を将臣の父に換金してもらい、それを元手に儲けているらしい。望美にはよくわからないが、「家にいるだけで楽でいいじゃないか」とかで今のところ飽きている様子はない。
重衡はといえば街でスカウトされた高級ホストクラブでぶっちぎりのNO.1を維持し、いまや平兄弟の資産は凄い勢いで増えているらしい。『あいつらまったく人生を舐めてやがる』と将臣あたりは理不尽なものを感じているらしいが、望美にとってはとにもかくにも彼らの生活が安定して一安心だ。

「ゆうべも夜更かししたのかな。知盛、知盛」

ベッドに近寄って声をかけてみる。
知盛は寝息も静かに動かない。
生きているのはわかっていても、少し不安になって望みはそっと顔を寄せた。
起きているときは皮肉っぽい言動の多い知盛だが眠っていると年より少し若く見える。
若く見えるといっても望美とは八歳も年が違う。大人な男なのだ。
ただ眠っているだけなのにその顔も身体も寝相すらセクシーで望美の心臓は煩いほど騒ぐ。
なかなか慣れはしない。

「せっかくご飯作ったのに、起きないんなら全部食べちゃうからね」

自分だけドキドキしているのが悔しくて照れくさくて…望美は小さくそう呟いた。

「食えるのか?」「きゃっ」

薄く目が開いたかと思うといきなり手首をつかまれ引き寄せられ望美の体が知盛の胸板の上に落ちた。

「んふぅ」

すかさず奪われる唇に少し苦い煙草の味。
暴れていた望美の腕がくたりと脱力する。
さんざん唇を味わった後、知盛はにやりと微笑むと望美を解放した。

「…日が昇ってから男の寝所に赴くとは大胆な女だ」

「ばかっ!」

傍にあった枕で叩こうとするとそれを制されて「剣なら歓迎だが」などと危ないセリフ。

「もう!朝ご飯だから起こしにきただけだってば」

「おまえが朝餉を?…有川を呼んで毒見でもさせるか」

「酷いっ、別に食べてくれなくてもいいもん。重衡さんと朝ご飯するから」

「それはやめておいたがいい。あれは俺以上に味に煩い。まぁ俺ならば、野戦にも慣れているし、食えるものなら何でも食ってやらないでもないがな。…これでも結構腹は丈夫だ」

「どういう意味よ」

「そういう意味だ」

そういうと知盛は気だるげに起き上がった。
シーツがめくれ、裸の上半身が露になる。鍛え抜かれ割れた腹筋まで見えて目のやり場がない。
始終だるそうにしているくせに己の鍛錬には貪欲らしい。

「って、服、着てよっ」

どぎまぎしながら望美は手近にあった白いシャツを投げる。

「おや、俺の肌はお気にめされなかったか、神子殿は」

腕に、頬に、唇に残る知盛の体温を思い出し、望美は真っ赤に頬を染めた。

「ばかぁっ」

口ではそういいながらも、白いシャツに袖を通すただそれだけの仕草を見れば、思わず見とれるほど美しくて、男らしくて…望美は居たたまれない気がして立ち上がった。

「どうした?」

「し、下で待ってる」

意地悪く知盛は笑うとゆっくり立ち上がり望美をその腕の中におさめる。

「目を逸らすなよ。ちゃんとおれだけを見…」

ふいに言葉が途切れ、望美はベッドにどさりと投げ出された。

「きゃっ何すんのよっ」

抗議して起き上がろうとした瞬間、キィーンという金属音が耳を打つ。
どこからとりだしたのか知盛が太刀で重衡の方天戟を受けていた。

「…ご挨拶だな重衡」

「兄上、寝ぼけるのもたいがいになさいませ。姫君が困っておられましょうに」

力が拮抗しているのか得物は動かない。
やがてにやりと知盛が笑み、重衡もにこりと微笑んだ。
申し合わせたように武器を収める。

「せっかく姫君が作ってくださった汁が冷めてしまいました。さ、お早う」

「やめておいたがいい。おまえの口には合うまいよ」

「何を仰います。姫君が私のために作って下さったとあらば、どんな代物でも私は食してみせますよ」

「ちゃれんじゃーだな。おまえも」

望美にとっては悔しいことにそのカタカナ英語のイヤミをこめた使い方に間違いはない。

(また将臣くんだねー)

その場にいない将臣に後で制裁を加えなければと心で誓う。

「兄上こそ、姫君の心づくしを独り占めしようなどと、お心の狭い。新中納言の名が泣きまするよ」

「俺は単におまえの命を案じてやったまでなのだがな」

「それはありがとうございます。ですが、この重衡、そこまで柔ではありませんよ」

「…ならば試してみようか。…ちょうどいい、…腹が空けば神子殿の作りたもうた朝餉も…少しはうまく感じるだろうよ」

「かまいませんよ、私は」

放り出されたベッドのうえで兄弟の失礼な応酬をあっけにとられて聞きながら望美は大きく吐息した。二人ともこれではまるで頭から望美の料理が危険なものと決めてかかっているようではないか。失礼な。

望美は情報源であろう有川兄弟に心の中で悪態を付く。本当のことなので実際には文句の言いようもないが。
平兄弟の言い争いはまだ続いている。いまにも斬り合いが始まりそうな危険な雰囲気だ。

(とにかく止めなくちゃ)

「もう!二人とも!いい加減に」

声を張り上げては見たが、最後まで言い終わることなく気づけば望美は二人に挟まれていた。

「な、何…?」

先ほどとは違った意味で危ないオーラを放出している平兄弟に望美は思わず後ずさり…しようと思ったががっちり両側から肩を抱かれていて身動きできない。

「ねぇ姫君」

「さきに…おまえを…味わってもいいのだぞ」

「ぎゃあーーーー」

望美の上げる悲鳴と、兄と弟の笑い声が響く。
本日の朝食における望美の料理の腕前に評価が下されるのはもう
少し先のようであった。