『金銀砂子』


鎌倉との戦は終わった。
平泉を中心とした奥州一帯の藤原氏の領土不可侵を約した和議。
これで頼朝と泰衡の目の黒いうちは奥州の平和は保たれるというのが大方の見方である。
二十二歳という若さながら御館に相応しい威厳を持たれていると皆が口をそろえて言う泰衡は今日もトレードマークの眉間の皺を見事に寄せていた。

「銀、銀はいるか」

「御前に」

金と黒の色調の泰衡とは対照的な涼やかな白と銀の色調の衣装をまとった若者が傍に控えている。

「…あれは」

「は?」

いつもなら主の意を汲むのに多くの言葉を必要としない切れる男が今日は怪訝そうに聞き返す。

「だから、あれは、どこにいったかと申している」

「…あれと仰せられますと…ああ、金でございますか」

「…」

神子が奥州に来て以来、人形だったこの郎党は少しずつ『人』になっていった。失っていた記憶…過去を取り戻し、秘めていたこの地を穢す呪詛を神子の力で跳ね返し…「平重衡」という身分、それを捨て去って神子に仕えている。
正確にいうとまだ泰衡の郎党ではあるのだが。
いまだって、泰衡が探しているのが金ではないことを確信していながらあえて聞いているのだ。

「金でしたらいまごろは高館で遊んでいただいているのでしょう」

「高館…九郎のところか」

「金は九郎さまに懐いておりますから」

銀の言葉に泰衡の気難しい顔はまた険しくなる。
金はもともと九郎が見つけた犬だ。
飼いたいのなら飼えばいいものを『居候の分際で勝手なことは出来ない』と律儀に遠慮するから泰衡が拾うことになってしまった。
父が大層気に入って庇護している九郎のやることを咎めだてるものなどこの平泉にはいないというのに。
「金」と名づけたその仔犬は、飼ってみれば案外可愛いもので。
金は泰衡に良く懐いた。ただ、かなり人懐っこい性格で始終家臣について館を迷い出ては町をさ迷い歩くのが困りものだ。
九郎からみれば泰衡がまったく構わず野放しにしているふうに見えたらしく、何も考えずに懐きまくる金を不憫に思い、エサなどを与えていたようだ。

泰衡と言う男、見かけによらず九郎以上に不器用で損な性格なのである。

もともと金とて九郎が望んでいたからこそ拾ったものであったというのに。九郎にはそれが今ひとつ通じていないようである。

いや、そんなことはどうでもいいと泰衡はまた眉間の皺を深くした。
泰衡が尋ねているのは金以上に放浪癖(泰衡からはそう見える)
のある彼の妻のことだ。

「金ではない」

「と、仰せられますと?」

「銀!」

「神子様でしたら金と一緒でございます」

銀が邪気のない顔ですかさず答える。
やはりわかっているのではないか。

「金とあれだけでいかせたのか」

「泰衡さま」

「…なんだ」

「龍神の愛でし姫君を奥方にしておきながらそのようなぞんざいなお扱いはいかがかと存じますが」

「ぞんざいだと」

心外だと泰衡は肩にかけた衣をよせ腕を組んだ。

「私がいつあれをぞんざいに扱った」

「神子様は嘆いておられました。結婚するまでは神子としか呼んでくれなかったし、お輿入れ後も名を呼んでもくれぬと」

「…」

「あの方はあのようなかわいらしいお姿でありながらその御心はとてもお強い。なかなか弱音などはかないお方です。そのお方が私ごときにお心のうちを明かされるなどよほどのことかと…」

「あれはおまえには格別な信頼を寄せている。おまえの前では本音を見せるとでもいいたいか」

「そのようなことは」
銀は小さくため息を零した。

「高舘には私がお送り申し上げました。ご用とあればすぐにもお迎えに行ってまいります」

「もう良い」

会話を終わらせても銀はそこに控えたままだ。
泰衡は声を荒げまいとぐっと腹に力を入れた。

「下がっていい。銀」


不器用なお方だと銀は苦笑した。
神子とともに戦い、その眩しいほどのまっすぐさ、誰しもがふと気を許してしまう温かさを知り、傍にいてほしいと願ったのは泰衡だったはずだ。が、いざ、神子が傍に来て見ると、つい気難しい態度を取ってしまう。

それにしても、なぜ神子が泰衡を選んだのだろうとつい銀は訝しく思うのだ。神子の傍には源氏の御曹司である九郎を筆頭に良い男たちが揃っているというのに。
自身、神子に惹かれてやまない銀であるが、その想いは固く抑えつけている。
もう何年前になるか…戦場に赴く前夜の宴で、不思議な少女を見た。
十六夜の月が雲の隙間から現れたほんの一瞬、その姿を見ることが出来た。

愛らしい姫であった。

その姫と再会したのは生田の戦場。
乳母子ともはぐれ、たったひとりで死ぬ場所を探していたときだった。まるで神の使いのように突然現れた少女は忘れられない面影、そのひとで。
会えただけで嬉しかった。
恋を、この少女に恋をしたのだと。あの十六夜の夜に出会ったとき一目で惚れてしまったのだとそのとき気づいた。
己の生涯最後の恋がこの少女でよかったと、そう思った。

その後鎌倉に捉えられ、おぞましい呪詛を纏う身体になり、すべての記憶を失った。
奥州に放たれ山中を彷徨ううち金を連れた泰衡に拾われた。
何か思うところがあったのだろう泰衡は彼に『銀』という名を与えた。
その名については『銀とは。犬と同列か』と嘲笑する家臣もいたが銀自体、感情の多くを失っていたからどうとも思わなかった。
金は泰衡にとって、大切な友人、九郎からの預かり物なのだ。
そして自分のことも泰衡は引き立ててくれた。
馬鹿にしていたほかの家臣も今では泰衡の腹心としての銀に一目置いている。
泰衡が自分をどう考えているか、果たして信頼されているのかは定かではなかったが、彼から受けた恩は限りない。
その泰衡が愛し求めて止まぬ存在…。

(やはりお迎えに行こう)

銀の足は九郎たち八葉が住まう高舘に向った。






「銀」

高舘についてみると望美は朔とともに庭先に出ていた。
にっこり微笑むその腕の中にはころころと太った仔犬が抱かれている。まだ小さいその犬を愛しそうに見つめる慈愛に満ちたその姿に銀は思わず見とれてしまう。
人も動物も、神さえも魅了してしまうこの少女からは目が離せない。
この可憐な少女が白龍の力を持ってあの鎌倉を攻め立てて奥州に和平をもたらしたなどといったい誰が思うだろう。
自ら剣を振るう姿を目の当たりにでもしなければ誰も信じないに違いない。

三位の中将平重衡という記憶を取り戻してなお、それらをすべて捨て去ってでも傍にいたいと願う自分の心に秘めた気持ち。
決して彼女の瞳に自分が映ることはないというのに。
彼女が自分に見ているのは西国の海で死んだという兄の面影。
ふとした拍子に顔を上げると望美と視線がぶつかることが度々ある。
その目はなつかしさと傷ましさが混ざり合っていた。

望美が重衡の十六夜の君であることは間違いないのに。
が、あのときもつれない男を捜すそぶりを見せていた…あれは兄のことに違いない…望美が己に兄、知盛の面影を重ねていても構わないと銀は思っていた。

いっそ、盗み出して奪ってしまおうかと考えたこともある。都の姫たちに恋の涙を流させた三位の中将とあろうものが・・である。
が、今の世「平重衡」の名はすでに死人となっている。
また生きて名乗ったところで平家に未来はない。

また「銀」としてもこの奥州の覇者藤原氏に逆らって生きるのは難しい。日の当たるところから隠れ住む生活を望美に強いることになるだろう。
ましてや、望美の心が自分にないというのならば。

毎日目にしているのに決して見慣れたりしない。それどころか日に日に少女の清らかさ、温かさが滲みていくようだ。
主の奥方が眩しく愛しくててたまらない、その想いを抑えて銀は一礼した。

「神子様、お迎えに参上いたしました」

「銀、見て、この子たち」
見れば望美が抱いている仔犬のほかにも似たようなのが二匹いる。

「仔犬…ですね」

「金に似ていると思わない?」

「ええ。確かに」

「金がよくこちらに来ていると思ったら、厨の裏で飼っていた犬がこの子たちを産んだのよ」

朔が言い添える。

「ということはこれは金の子ですか」

「うん、そうみたい。全部で五匹生まれてね、二匹は貰われていったんだって。母犬のために一匹は残しておくそうだけど、あとの二匹の貰い手を探しているのですって」

「そうですか」

「…連れて帰っちゃだめかなぁ。泰衡さん、なんていうと思う?」

「連れ帰ってお願いしてみてはいかがです?金の例(ためし)もありますし、犬がおきらいなわけではないと思いますが」

「そうか?あいつが金を可愛がってるところなど見たことがないぞ」

「九郎様」

所要が終わったのか九郎と弁慶が現れた。

「金が放浪好きなのは可愛がってくれる人間を探しているからじゃないのか?あいつ、誰にでもエサ貰ってるだろ」

こういうとき主を気の毒だと銀は思うのだ。
泰衡は表にこそ見せないが九郎を友としてとても大切に思っている。
九郎も泰衡のことはそれなりに友人として認めているのだろうが。
これは二人の性格の違いゆえなのだろう。
泰衡にとっては九郎は唯一の友といってよい。
いつも眉間に皺を寄せ、たった一人でこの奥州藤原氏を担おうとする泰衡は傍目に
はひどく気難しく見える。
一方、九郎はといえば天性人をひきつけるところがある。九郎にとって泰衡は多くいる友人のうちの一人というわけだ。同じように不器用な性格でありながらその違いは大きい。

だがそんな泰衡を神子は選んだのだ。

出会ったのは自分が先なのに。
あの十六夜の逢瀬の夜に戻ることが出来たなら…あの姫を手に入れ、決して離しはしない。彼女の中の兄の面影を消し去ることもできたかもしれないのに。幾夜も眠れぬ夜を過ごし、悶々と想った。
今、このときも目の前にいる想い人を連れ去りたいという衝動が激しく蠢く。当然追捕はかかるだろうが 短くとも命を燃やして共に居られるなら…と。

銀のそんな暗い思考は望美の少し高めの声によって遮られた。
「違うよ、九郎さん。泰衡さんは金をとても可愛がってるよ。ただ人に見せないだけ。ほんとうはすごく優しいひとなんだから」

「ほーぅ。ならばさきほどあいつの悪口が聞こえたように思ったがそれは俺の空耳なのだろうな」

「やだ、聞いてたの!?」

「あんな馬鹿でかい声で愚痴っていたら嫌でも聞こえる」

「ふふ、九郎はね、妬いているのですよ。まさか望美さんが泰衡殿の奥方になるとは思っていなかったんですから」

「なっ!馬鹿なことを」

弁慶の発言を九郎がムキになって否定する。
そういう弁慶自身も、いや八葉の誰しもが神子である望美に惹かれているのだが。

「うん、やっぱり連れて帰ろう。泰衡さんに頼んでみるよ」

あの泰衡が望美のおねだりを無碍にするわけがない。もっともいつもの気難しい顔でしぶしぶ了承するに違いないのだが。
銀は主の顔を思い浮かべして苦笑した。

「はい、銀」

「え?」

ふいに手渡されたそれは小さく、頼りなく、そして温かい。仔犬の早い鼓動が指を通してトクトクと伝わってきた。母犬から乳をもらって間もないのか良く眠っているようだ。

「可愛いでしょ?」

「え?…ええ、そうですね」

「一匹ずつ抱っこして館に帰りましょう」

「はい」

腕の中の小さな命。決して重くはないはずのに銀にはそれがとても重く…尊く思えた。
生きるということはそれだけでこのように尊いのだ。

躍動する生命そのもののような神子の目が翳るようなことを自分がしてはいけない…。

「見守って…見守っていければそれでいい」

小さく誰にも聞こえないように銀は呟いた。やがて気を取り直すと優しく望美を促す。

「神子さ…奥方様、お急ぎください。泰衡様が館でお待ちですよ」

「はあい。じゃ、朔、みんなも、また来るね」

望美は屋根を見上げて手を振った。
「せんせーい、敦盛さぁん、また来ます!」

そういうと歩き始めた望美を追いながら銀は尋ねた。

「あの方々はあのようなところで何を」

「あの二人はね、屋根の上が落ち着くんだって」

「ああ、そうなのですか」

リズヴァーンと敦盛の何かを諦めたような静かで温かい眼差しを思い出し、銀は腕の中の仔犬に目を落とした。

「見守って…いらっしゃるのかもしれませんね」

「うん。先生や敦盛さんだけじゃなくてみんながいつも見ていてくれるの。それに今は遠く離れてしまってる景時さんもきっと、ここで繋がってる」

そっと仔犬を包み込むように胸を押さえ望美は遠くに視線を馳せ微笑した。その視線の向こうに兄は、彼岸にいるであろう兄は見えているのだろうか…。

「私も…。今度私もご一緒してみましょうか」

「銀が屋根に上るの?」

「ええ、いろいろなものが見えそうですから」

「そうね、高いところって気持ちいいよね。ところで銀、泰衡さんはこの子たちになんて名前付けると思う?」

「泰衡様に名付け親になっていただくのですか?」
少し慌てたふうに銀は神子を見た。

「だめ?金って名づけたのも泰衡さんなんでしょ?その子供なんだしお願いしようかなって思ったんだけど」

「…たぶん、銅(あかがね)と鉄(くろがね)などという名になりそうな気がしますが」

泰衡の名づけの感覚を銀はあまり信じていない。

「まっさかぁ」

「いえ、おそらく」

「うーん、仔犬に銅と鉄…」

眉間に皺を寄せて望美は腕の中の仔犬に目を落とす。むくむくした仔犬は金より心持ち赤毛のようだし、銀が抱いているのは心持ち黒っぽい。

…おそらく銀の予想は外れないだろう。

「銅に鉄か。うん、かっこいいかも。強そうじゃない?」

「はい、奥方様がそう仰せになるなら」

頷く望美に微笑を送ってから銀は思い出したように付け加えた。

「そういえば金の姿が見えませんでしたが」

「金なら先に帰ったみたい。だって、もうすぐご飯の時間でしょ?」

ああ、と銀は微笑した。
「泰衡様が鉢を持ってお待ちでいらっしゃいますね」

「そうそ、なんでみんなに隠れて餌をやらなきゃいけないかなぁ。犬好きなくせにね」

「ええ。ですからこの者たちのこともきっとお許しくださいますよ」

「うん」

仔犬の離乳食をせっせと練る泰衡の姿を思い浮かべ同時に二人が噴出した。

「ぷっ」

「あはははは」

大路を仔犬を抱いて楽しげに歩く二人の頬をを風が優しく撫でて
いった。