内裏のほぼ真南に位置する陰陽寮、ここはもともと決して明るくにぎやかな職場ではない。頭の賀茂保憲は謹厳な人柄である。扱う仕事も祭事、 天文観測、占い、暦作り、宮中のスケジュール調整と多岐にわたっている上 怪異が起れば それを調査し、納めなければならない。心はずむ職場でないのは確かなのだが それにしても・・・

 晴明はこめかみを押さえた。


 「泰明!なんとかならぬのか?その仏頂面は」
 普段からけっして愛想のいいほうではない彼の弟子 泰明。その泰明の周りには 暗く澱んだ空気がただよい、あまつさえ部屋の中だというのに雷雲までよびよせそうな雰囲気なのであった。
          
 「この顔は生まれつきだ。お師匠がそうつくったのではないか」
不機嫌きわまりない泰明の返答に周りの者達にどよめきが走る。

 「やっぱり、隠し子だったんですね・・・」
 「今まで謎だった泰明殿の出生のひみつ・・」
ひそひそ話す周囲の者どもたち。しかし、凍りつくような泰明のひとにらみで 固まってしまう。

 (ひゃ〜〜〜怖ぇ〜〜)


 (いかんな。このままでは)
 「や、泰明、いったいなにがあったのだ?」
 「・・・・」
 (こ、こいつわ〜〜〜!! 師匠の私にここまで気をつかわせるとは・・なんたる不届きな奴だ)
が、機嫌の悪い泰明は恐い。しかたなく晴明が
 「神子殿となにかあったのか・・なぁ・・なんて・・」
 おそるおそるきりだしてみると、泰明の顔が蒼ざめ 眼が泳いで いる。
 (やはりな・・・)
晴明はため息をつくと 泰明に自分の仕事部屋までついてくるよう促した。
 不承不承師について部屋から出ていく泰明。残された者たちがほっとしたのはいうまでもない。

 「で、なにがあったのか・・」
泰明に座るようにすすめると 晴明は切り出した。

 「・・・」
 「諍いでもしたか?」
 「・・そうではない」
 「では、神子殿の具合でも悪いのか。」
そう言いかけて晴明はぎくっとした。泰明の目から涙がぽろぽろこぼれていたのだ。

 「泰明、どうしたのだ」
 「お師匠、神子は、死んでしまうやも知れぬ」
 「な、何を言う?」
 こらえきれなくなったのか涙を流しさめざめ泣く泰明は男にしておくにはもったいないほどの美しさである【*注 お師匠、親ばかモード発令中】
 (いかんいかん、神子殿の話であった)

 「とにかく、わけを話せ」
泰明はぽつりぽつりと語り出した。

 最初におかしいと思ったのは あかねが夜、床をともにするのを避け始めたことだった。はじめは疲れているとか、月の障りだとか理由をつけていた。泰明には幸か不幸かあかねの月の満ち欠けすらを把握できる能力がある。神子と八葉の結びつきはさすがと言うところであろう(平和になった今、あかねには迷惑極まりない能力かもしれなかったが)
 ゆえにこれはうそだとわかっていた。けれど神子がのぞまぬなら・・泰明は泰明なりにそう思いやり、黙って騙されていた。
 ところが、本当にあかねは体調をくずしてしまった。風邪でもひいたのかのどに痛みを訴え、微熱がさがらない。床に伏していても 身の置き所がないらしい。
最近では食物ものどを通らぬ様子であった。


 「薬師には見せたのか?」
泰明は首をふる。
 「薬師を呼ぼうと言うのだがあかねが泣いて嫌がるのだ。私が薬を調合してもけっして飲もうとせぬ」
 「ふぅむ…」
難しい顔をして考え込む晴明。
 「神子は異世界の人間だ。やはりこの地に気がそぐわず体に変調をきたし始
めたのやも知れぬ。もし、神子の身になにかあれば・・私は・・・」
 「待て、はやまるな泰明。そうときまったわけでもあるまい。」
 「が、他に考えられる理由がない。あの大食らいの神子が一粒の米ものどを通らぬほど苦しんでいるのだ。」
泰明はぎゅっと唇をかみしめる。すっかり痩せてしまった愛しい妻の様子が頭にうかぶ。

 なんとかしなければ・・・

 「晴明さま、お邸から文がまいっておりますが」
役人が晴明に文箱を差し出す。晴明はその文を広げた。
 「北の方からだ」
 
 李花が陰陽寮に文をよこすなど滅多にあることではない。
 「・・・」
 泰明が不安そうに見守る中、晴明は文を開いた。
 「泰明、すぐ邸にもどれ。あかね殿が倒れられたらしい。いや、私も行こう」


 あかねは自室で床に臥せっていた。
 「神子!」
 泰明がそばによると弱々しく微笑む。晴明にはその微笑が幸せそうに見てとれる。
 (はて?)
が、泰明はあかねのやつれ具合しか目に入らない。

 「あかね殿、よろしいかな。」
 「あ、お義父さま・・」
苦しげにあかねは身をおこそうとする。
 「泰明がえらく心配するので様子を見にきたのだが・・・お加減はいかがかな」
起きあがろうとするのを手で制しながら 晴明は優しく尋ねた。
 「ありがとうございます・・・」

 随分やつれてしまったが あかねの顔はやはり明るい。
 「食事がのどを通らぬと聞いたが・・おや?」
 (・・・この気は)



 晴明はあらためて あかねの顔を見る。
 (出ている。あかね殿の顔に)
 「あかね殿、そなた・・」
 そのときふいに、
 「お師匠!神子を頼む。私は少し出てくる。」
思いつめた表情で泰明が立ちあがった。


 「どこに行くのだ?」
 「左大臣家だ。」
言うが早いか泰明はすでに部屋の外に駆け出していった。


 「あの、やっぱりわかっちゃったんでしょうか」
恥ずかしそうに微笑むとあかねは気遣うように腹部に手を当てた。晴明も嬉しそうに頷く。
 「あかね殿、でかした、おめでとう」
 「お義父さま・・・」
 「だが、何故泰明に知らせないのかな?」
 「私、自分でもよくわからなかったんです。泰明さんは何も気付いてないようだし。もし、思い違いだったらきっとがっかりさせてしまうと思って・・」
 
 泰明は自分の特殊な出生から子がもてるなどとは夢にも思っていないのだろう。

 「いや、間違いないよ。あかね殿。間違いなくあなたの胎内には新しい命が宿っている」
 あかねの目が潤む。
 「うれしい・・・。」
 「いろいろ気苦労をかけてすまないね。その所為でつわりがひどいのかもしれない」
 「大丈夫です。赤ちゃんさえ元気なら。」
健気なあかねの言葉に晴明は口元を緩めた。

 「あかね殿、肩の力を抜きなさい。私も北の方もあなたを大切に思っている。もっと甘えてほしい・・・あなたは泰明の救い主であり、私達のたったひとりの姫なのだから」
 「はい・・お義父さま。」
 「では、大事な体を泰明だけに任せてはおけないからね。失礼するよ?」
晴明はあかねをかるがると抱き上げた。
 「お、お義父さま?」
 「つわりが落ち着くまで 北の方のところでゆっくりしなさい」
そういうと あかねが泰明と結婚するまでの短い間住まっていた北の対に移してしまった。






 「神子!」

 泰明がもどったとき西の対は裳抜けの殻であった。
 がらんとした部屋。さきほどまであかねが伏していた床はきちんと片付けられている。
 「神子・・・」
泰明はがっくりと膝をつき不安げに辺りを見まわした。
 「泰明、どうした?」
 「お師匠・・神子が・・」
 「あかね殿は北の対に移したぞ。結界を張りその中に入っていただいた。
あの体で万が一邪気でも寄せつけたら大事だからな。」
 「やはり、具合が悪いのか、」
 「そうだなあと二月…いや一月か」

 (帯をするころは落ち着くはずだが)
 (あと一月・・・神子の命があと一月だというのか)
 泰明の顔が蒼白となった。

 「一刻の猶予もならぬ!」
泰明は北の対にむかって駆け出した。
 「おい、泰明!私は悪阻はあとひと月ほどは続くと・・・行ってしまったか。」






 「神子!」
 どたどたと駆け寄ってくる足音に 晴明の北の方、李花は驚いたように顔をあげた。冷静沈着な泰明が渡殿を走るなど見たこともなかった。
 「泰明さん、どうしたのです?」
それには答えず泰明はまっすぐあかねの傍に立った。
 「神子、お前をむこうの世界にもどす。」
 『ええっ』
驚く李花とあかね。突然のことで言葉もない。
 (ど、どうして・・・何?どういうこと?)

 信じがたい泰明の言葉。あかねの目の前がまっ暗になる。
もしや、懐妊したことが気に入らないのだろうか・・・
最近 夜泰明を避けていたしそれでもしや、他に好きな人でもできたのだろうか?混乱するあかねに考える暇も与えず泰明はその身を抱き上げる。

 「泰明さん!今、神子さまを動かしてはいけません!やっと少し落ちつかれたのですよ?」
李花の制止も耳に入ってはいない。
 「あちらに送り返さねば・・」
 「いやだ、泰明さんっ」
 「泰明さん!落ちついて」
 「神子はこちらの世界にいてはいけないのだ」
 『泰明さんっ!』
パッチ〜ン!!という小気味よい音がほぼ同時に二つ響き、泰明の両頬があかくなった。
 それでもあかねを落とさなかったのはさすがというべきか。

 「ひ、酷いよ・・なんで向こうの世界に送り返そうとするの・・なんで・・?」
しゃくりあげながら抗議するあかねに呆然と固まる泰明。
 「泰明さん!!神子様になんてことを言うんです!見損ないました!」
柳眉をさかだてて怒る李花。



 「あ〜あ」
泰明を追いかけてきた晴明が困ったように呟く。
 「遅かったか・・・」
そしてあかねのみならず、李花にも頬を殴られ、あかねを抱きしめたまま呆然とたたずむ泰明に苦笑した。
 「泰明。とにかくあかね殿を下ろせ。北の方もあかね殿も落ちつきなさい」


再び、あかねを褥に下ろすと、泰明はその傍に端坐し、はぁとため息を零した。
 「神子、こちらにいてはおまえの命が長くもたないのだ」
少し落ち着いたのであろう。泰明が いつもの声音で口をきった。
あかねの床を挟み、反対側には晴明と李花が座している。

 「藤姫のところで星の一族の文献を調べてきた。おまえの世界への道を開く方法は見つけた。」
 「泰明さん、私は!」
説明しようとするあかねを晴明が手で制止した。

 「泰明、あかね殿をあちらに帰すのか?」
 「他に方法がない」
 「そなたはそれで良いのか?」
 「お師匠。」
泰明はくるりと晴明のほうにむきなおると深々と平伏した。


 「・・・お暇をいただきたい。」


 「それがそなたの答えか。」
泰明を見つめる晴明を泰明はまっすぐ見つめ返した。
 「この命、神子と離れては生きていく価値はない」
 「この京を捨てて、異世界であかね殿と生きていくというのか。」
 「はい」
 「今度はそなたが病に倒れるやもしれぬ」
 「かまわない。この身の在るかぎり神子を守りたい」
 「・・・私はそなたに己の術のすべてを移した。だが・・・」
 「お叱りはもっともだ。しかし・・・」
 「最後まで聞かぬか、馬鹿者。そなたはまだまだ未熟だ。しかもあかね殿がからむと全く正常な判断ができなくなるようだな」
 「は?」
晴明はきょとんと己を見つめる泰明をにやりと笑って見せた。

 
 「・・・あかね殿は病ではないよ。」
 「何?」
泰明はあかねを見る。
 「このようにやつれて どこが病でないのだ?」
 「気を読め。未熟者」
泰明はあかねのほうをあらためてまじまじと見つめた。
 「これはいったい?」
小さくつぶやく。

 「泰明さん、あのね・・・」
あかねは泰明を手招きし、耳元でそっとささやく。その意味が信じられぬように泰明は絶句し硬直した。


 李花がちょいちょいとにやにや笑う晴明の袖を引く。
 「さ、あなた、ここはあかね様におまかせして、私たちは・・・ね?」
 「え?そ、そうか」
気をきかせた李花に引きずられて晴明は心残りな様子でその場を後にする。




 「あの、泰明さん?」
心配そうなあかねの声に泰明はようやく我にかえった。
 「・・・子、私に子ができるのか?」
あかねは恥ずかしそうにこくんと頷いた。
 泰明はあかねの腹を見た。
 何故気付かなかったのだろう?
そこにはちゃんとあかねと違う気をもった小さな命が自己を主張しているのに。
 「・・うれしく・・ない?」
少し沈んだ声であかねがおそるおそる尋ねる。
 「うれしくないわけがない!」
泰明はあかねの肩を抱いた。
 「私に子が持てるとは・・・思わなかった。あかねの腹に この子の気を感じるという今でも なお、信じ難くて・・・。真に私に子が?神子、触ってもも良いのだろうか?」
頷くあかねの腹に泰明は恐る恐る手をあてた。
 「ああ、強い…気だ。おまえに似ている。眩いほど白く温かい気だ」
 「泰明さんに似てるといいんだけどなぁ」
 「私は人になったのだな」
しみじみと泰明が言った。
 「あなたは最初から人だよ。」
あかねが泰明の頬を両手で挟み込む。
 「つわりだったのだな。」
 「うん、この子はじめての自己主張。気付いてほしかったんだね。きっと。」
泰明はあかねの腹の子に申し訳なさそうに詫びた。
 「すまなかった。気付かなくて。」
 「ふふ、おとうさまはあなたのかわりに おばばさまとおかあさまからほっぺをぶたれたのよ。」
 「お方さまにお叱りをうけたのは初めてだ。」
紅く手形が両頬についている夫を見てあかねはくすっと笑うと
 「おかあさまは泰明さんに甘いから。」
からかうようにそう言う。
 「いつ、生まれるのだ。」
 「お義父さまのお見立てでは雪が降りはじめる頃だって」
 「雪か…まだまだ先だな」
 「泰明さん」
 「なんだ?」
そろそろとあかねを抱きしめながら泰明が尋ねる。あかねの望む事はなんでも聞いてやりたい。適えてやりたい。そういう気分だった。
 「お庭が見たいなぁ」
 「だめだ、今日は少し冷える。冷気は体に障る。」
 「泰明さんの過保護。」
 「もう、一人ではないのだぞ。」
そういいながらも泰明はあかねの体を衣で包み込むと抱き上げて簀縁に連れていった。

李花が心を砕き愛している庭。
 「春だね。」
桃の花が真っ盛りで花の先からは緑の新葉が萌え出している。
 「萌え出ずる春になりにけるかな」
泰明がふと思い出したようにつぶやく。
 「何?」
 「万葉集だ」
 「ふぅん」
春の朧な月が二人を照らす。
 「寒くないか?」
うなずくあかねの上に泰明の唇が降りてくる。
 「ありがとう、あかね。」








 -----幸せな幸せな春。




     了

                     初出2002 再掲載2004.521     


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