Walkure
02


通された部屋はフェリシアが今まで一度も目にした事がない贅沢なものだった。
村を出るまで一度も外の世界は目にした事はなかったし、生家の暮らしはは神官の家らしく貧しくはなくともつつましいものでったから。

これが貴族の家なのかと思わず辺りを見回してしまう。

フェリシアを屋敷につれてきた当の本人は、出迎えた執事らしい若い男に一言二言何か告げるとどこかに行ってしまい、穏やかで親切そうな執事にこの部屋に通されてずっと待たされている。

「お嬢様、お待たせいたしました」
ティーセットを手に先ほどの執事らしき男が部屋に入ってくる。
「当家自慢のお茶でございます。」
湯気の立つ紅茶が注がれるカップはフェリシアが今まで触れたこともないような薄い華奢なつくりだ。繊細な筆遣いで施された青い薔薇の意匠の上品なカップに恐る恐るフェリシアは手を伸ばした。

「い、いただきます」

一口啜ってみると鼻腔に花の香が抜ける。

「わぁ・・・いい香り」
感嘆の声をあげるフェリシアに執事は嬉しそうに微笑んだ。
レムオンはほとんど表情を変えない端正な顔立ちだが執事のほうはすこぶる愛想のいい人らしい。

「ご主人様が大変お世話になりましたそうで、お嬢様もさぞお疲れでございましょう」

「いえ、反対に私が助けていただいたんです。あの、それでレムオンさんは?」

「はい、ただいま、お召し換えの最中でございます」

「はあ」

土ぼこりの道を歩いてきた自分の粗末な服に目をやりフェリシアはため息した。
人を待たせておいて着替えとはやはり彼は貴族なのだと。

フェリシアが茶を飲み干すのを見計らって執事はにこやかに申し出た。

「お疲れのところ申し訳ないのですが、お嬢様にも湯を使っていただき、お召し換えをお願いいたします」

「は?」

聞き違いかとフェリシアは目を丸くした。

「湯って・・・」

フェリシアの村には湯で身体を洗う慣習はない。
彼女自身も清潔好きなので旅の最中も水浴びは常に欠かさなかったが。
宿にも湯屋があるところは稀であった。

「介添えはメイドたちが致します。どうぞこちらへ」

「え、ええ?」

あたふたとする暇もなくフェリシアは二人のメイドに引き渡され、別部屋に連れて行かれ身包みはがされて設えられた浴槽に放り込まれた。

「うわ・・・湯だ、うわ・・・」

初めて浴びる湯に最初はわめいていたフェリシアもやがてほこほこした雰囲気にようやく慣れて手足を伸ばす。

「結構気持ちがいいものでございましょう?」

お仕着せを来たメイドたちがくすくす笑う。

「は、はい。でも自分で洗いますから」

メイドたちの手から海綿を受け取ると身体を擦った。

「お嬢様の髪は綺麗な色ですね。蜂蜜色といいますか、まるで金糸のよう・・・」

「もったいないですわ。伸ばせばさぞ美しくおなりでしょうに」

「そんな、私なんて。それにお嬢様じゃなくて名前で呼んでもらえませんか?フェリシアっていうんです」

「フェリシアさまですね」

「えっと様っていうのもやめてほしんですけど・・・」

「いえ、フェリシア様はご主人様の大切なお客様だとセバスチャンさんから伺っておりますので」

「セバスチャンさん?」

「はい、執事さんのお名前です」

「ああ、あの・・・」

女同士話が弾むうちに入浴も終わり、与えられた衣服に袖を通す。
上質の絹のブラウスだ。
心配していたドレスなどではなく、貴族の少年が着るような折り目正しい白いパンツと黒いビロードの上着。腰にサッシュまで結ばれフェリシアは羞恥で頬を染めた。

「素敵、男装の麗人といったところでしょうか」

「ええ。お化粧などはしないほうがいいでしょうね」

化粧などされては堪ったものではない。フェリシアは満足げなメイドにコクコクと首を振った。

「ではさきほどのお部屋に。ご主人様がお待ちでございます」




さきほどの部屋(たぶん居間であろうか)に戻ると執事のセバスチャンが立っており、ソファにはレムオンがさきほどの旅装とはあきらかに違う、おそらくは礼装で座っていた。

「おお、昔のエストさまのお衣装がよくお似合いですね」

「・・・まぁ悪くはないな」

「急なことだったので・・・前もってお知らせくださればドレスなどもご用意できたのですが」

「仕方あるまい。苦し紛れの策だが他に手がないのだからな」

優雅に脚を組むレムオンにフェリシアはおずおずと訊ねた。

「あのう、それで弟さんは」

一昨日ノーブルに引き返したあと、じつはエストと言うレムオンの弟には会うには会ったのだ。
だが、彼は代官を粛清した兄の後始末を引き受けたためノーブルに残り、フェリシアはレムオンを護衛して一足早くロストールに着いていたのであった。
エストが戻るまでこの邸に滞在するようにと勧められ、セラは気が向かないということで街に宿を取った。エストが戻ったら彼に頼んでセラのいる宿屋へ足を運んでもらおうと思っている。

「事後処理にあと幾日かかかろう。その間おまえにはやってもらうことがある」

「ええ!?」

「いったはずだ。それが弟に会わせる条件だと」

「まぁそうですけど」

「お前たちは外せ」

レムオンにそういわれメイドとセバスチャンは一礼してさっと部屋から出て行く。

残るのはフェリシアとレムオンだけだ。

「王宮から召喚命令がきた」
ああ、だから彼は礼装なのだなぁとフェリシアは暢気に考えた。
光沢のある紅のローブの上、肩の辺りには金色の防具を兼ねた装飾が施されており、長衣の下にはあの二本の剣をつるすベルトがちらり見えている。
湯を浴び、梳き付けられた髪が淡い金色に艶やかな光を放っていた。
これが貴族なのだとフェリシアは漠然と思った。
美しい人だ。が、彼は薄い刃のように張り詰めた緊張感を抱かせる。


「今から一緒に来てもらう」
「はい?」

「受け答えは一切俺がする。おまえはただ黙っているだけでいい。あとはロストール式のお辞儀だけを覚えろ」

「いったい、何のために?」

「おまえには俺の腹違いの妹になってもらう」

「あの・・・お話がよく見えないんですけど」

「そうだな。ある程度事情は知らせておいたほうがいいかもしれん。馬車の中で話す」

そういわれて仕方なくフェリシアはレムオンとともに馬車に乗り込んだ。

「おい、屋敷の裏手の丘を見てみろ」

「あ、お城」

「あれが今から行く王城だ。ここから緩やかな坂を上る。この辺りはわがリューガ家の土地だ。屋敷の下手にも一軒 館があっただろう。あれはわが従兄弟ルブルグ伯の邸宅だ」

「はあ」

「わがリューガ家は七竜家といってロストールを代表する七つの家柄のひとつだ。王家であるリュー家とは血縁関係にある。今の国王の弟に当たるのがわが父、先のエリエナイ公だ」

「そ、そうなんですか」

「仮にもおまえの父である男の話なのだ、性根を入れて聞かんか。エリエナイ公は奥方との間に子をなす前に外に子を作った。それが俺だ。つまり俺と弟のエストは異腹の兄弟と言うことになる。しかし、俺は物心つく前に産みの母の手を離れ、このロストールのリューガ邸で嫡子として育った。エストは子供の頃から頭はよかったが学者肌と言うのだろうか、リューガ家が関わるべき政治と言うものが嫌いなのだ。だから両親も俺に跡目を継がせたのだろう。が、これはあくまで屋敷外には秘密のことだ。対外的には俺は正式な結婚から生まれた嫡子として届けられている。俺には政敵が多い。ことに王宮に住まう女狐とは犬猿の仲といってよい。あのファーロス出身の女はことあるごとに俺の失脚を狙っている。機会があれば命をもな」

「あの、もしかして先日の盗賊は」

ただの盗賊なのではなくレムオンを狙い放たれた刺客なのかとフェリシアがごくりと咽喉を鳴らした。

「むろん、エリス王妃はそこまで愚かではない。あのあからさまな襲撃はおそらくはエリスの兄、ノヴィンの仕業だろう。あの男は妹に才覚をすべて取られて生まれてきたような男だ」

「あの日俺は領地のひとつで不穏な動きがあるという知らせを受け、ノーブルを目指していた。ノーブルにはボルボラという代官をおいていたのだが、あの男はエリスの息のかかった隠密に買収され、俺の領地で失政を繰り返し民の不満をわざと募らせ反乱騒ぎがおきるように画策していた。それと同時に俺の出生の秘密を暴く亡き父の手紙まで入手してエリスに送りつけたのだ」

「それって・・・」

「俺の失脚を画する王妃はすかさず俺を王宮に呼び、陛下の前で俺の正当性を否定しリューガ家の当主の座から転落させるつもりだ。が、そうはさせん」

レムオンは目の前に王妃がいるかのようにぐっと前方を睨みつけた。やがて気を取り直したようにフェリシアに向き直った。

「ときに、おまえのことをもっと知っておきたい。ミイスの生まれだということは聞いた。親は何をしていた?」

「ノトゥーン神を祀る神官でした。そして代々あの地に伝わる闇の神器を守るのがわが一族の使命でした。私もその使命を果たすべく己を鍛える修行のたびに出る定めになっていましたが、その時期が来る前に村が襲われてしまって・・・」

「なるほど。で、兄は行方不明となったか」

「はい」

「・・・神官の娘か。なるほどな」

フェリシアが少なくとも野育ちでないのは見て取れた。話す言葉も、教養も、少し鍛えれば貴族の娘として十分通用するだろう。
失われた村ならばエリス王妃がこの娘のことを探ろうとしてもホコリは出にくい。

「おまえは兄をなんと呼んでいた?」
「兄さまですけど」
「・・・それでいく。俺のこともエストのこともこれからはそう呼べ」
「・・・わかりました」

そうこうするうちに馬車は王城の前に着いた。
フェリシアは差し伸べられるレムオンの手にぎこちなく捕まりながらそろりと足を下ろした。
さすがに王城である。
さきほどまでいたリューガ家よりさらに大きく荘厳さを増している。

「ぽかんと口をあけるな。愚か者に見える」
レムオンの小言に我に帰る。
「すみません、レムオンさっ・・・に・・いさま」
「リューガの血を引く娘として堂々と振舞え。頭を上げて首をしゃんとしろ。ヘラヘラ笑う必要はない」
「はい」




王妃との接見は思ったよりもすんなりと終わった。
会話の主導権を握る王妃の傍らで無気力に座る王の姿が気になったが。
見るからに宮廷内は王妃の独壇場で、傍らの王も一段下に控える王妃の兄ファーロス大公も飾り物だ。
ファーロス大公はあからさまにレムオンに敵意を燃やしているが、それをレムオンは軽くあしらっていた。
彼の敵は王妃そのひとであり、その彼女といつもこんな薄氷を踏むような応酬をしているのかと、フェリシアはこの宮廷という世界を薄ら寒く恐ろしく思った。
その彼にとって出生の秘密というハンデはかなり大きなものなのだろう。
関わった以上自分が足をひっぱるわけには行かない。

王妃の手にはノーブルの代官ボルボラが入手したという先代エリエナイ公の恋文があった。
レムオンにとって幸いなのはその恋文の中に彼の父とその想い人の間に生まれた嬰児の性別や年齢がまったく記されていないことだった。

「エスト殿の生誕の折には我らはリューガ邸に駆けつけたものだ。だとすれば外で生まれた子はエリエナイ公、貴殿だということになる」

政敵の最大の弱点をついたと鼻息も荒く言い募る兄を余裕で制し、王妃は美しく笑った。

「手紙の入手経路を明かさぬままボルボラが死んだとあっては、これを鵜呑みにするわけにもいかぬ。しかし、手紙を手に入れた直後の事故死とは…偶然にしては、できすぎているとは思わぬか?しかも、ボルボラはノーブルで横暴を働き、そなたを困らせていたというではないか。この上ない幸運であったな。エリエナイ公。」


「フッ…、おたわむれを。彼は有能な男でした。現にこれまで、ボルボラのあとを任せられる者がおらず、頭を悩ませておりました。ですが、ようやくその結論が得られたので、今日はその件についてお願いに上がった次第です」

ここでレムオンは効果的に言葉を切り、傍らに控えるフェリシアに視線を送った。
「この度、先代エリエナイ公の血を引くわが妹、フェリシア・リューガに彼の地の統治を任せたく存じます」

「妹?」

「ここに連れてまいりました」

「エストの他に兄弟があったとは、初耳だが。」

「なっ!では貴殿はこの娘が先代が設けた庶子だと、そう言われるのか」

「ご存じないのも無理はございません。ノヴィン閣下。父にとってもあまり口外したくないことゆえ。亡き母への憚りもあり遠い地で人に預けて育てさせた妹です。ボルボラ亡きあとのノーブルを統制するために、なにとぞ、我が妹フェリシアにノーブル伯爵の称号を。」

「・・・なるほど。陛下、この者にノーブル伯の称号を。事情が事情です。手続きは追って行うこととし、この場で叙任なされては?」

「王妃!こんな言い逃れを信じるのか?」
声を荒げる実兄を無視し、エリス王妃は傍らの夫に恭しく言った。

「女ながらなかなか頼もしき面構え、きっとわが国の役に立ちましょうぞ」

「王妃陛下のお口添え感謝いたします」

ことの流れを見てなのか、それとも単に無気力で王妃の言葉だけに反応するのか・・・国王はやや投げやりとも思える声音で

「ああ…。王妃がそう言うのであればな…。フェリシアと言ったか。そなたをロストール王国の伯爵、そして、特別に白竜騎士に叙任する。」

と告げた。
王妃が美しい笑みを浮かべて傍らの騎士に合図をする。

「騎士の証である盾だ。受け取るがよい。」


レムオンは優雅に一礼した。

「迅速なご処置、心より感謝いたします。リューガ家は、陛下に以後、いっそうの忠誠を誓いましょう。」


フェリシアもレムオンに習いロストール式のお辞儀をした。



「私は疲れた、先に引き取らせてもらう」
国王がその場を引き上げるとレムオンは再びフェリシアに礼を促し、その場を辞そうとした。

「エリエナイ公」

「は」

「その美しい妹御は今後、リューガ家で暮らされるのか?」

レムオンはゆっくりと振り向いた。

「妹はわたくしが援助の手を差し伸べる前にすでに冒険者として独り立ちしておりました。
今後はノーブルの領地にも心を砕くことになりましょうが、完全に妹をロストールの生活に閉じ込めることは出来ますまい」

「ほう、冒険者とのぅ。それは面白い。女だてらに竜騎士で冒険者か。ノーブル伯」

「はい」
さっとフェリシアは片膝を床につけた。

「良い眼をしているな。さそ面白い話が聞けよう。いずれ私の茶会にも顔を出すよう。王女ティアナとは年も近そうゆえ話も合うだろう」

「ありがとうございます」






「よくやった。お前に関しては上出来といっていいだろう」

「あの、あれで本当に王妃様は納得されたんでしょうか」

帰りの馬車の中でまだ緊張の解けないフェリシアはいまや正式に兄となった男の冷たい横顔を見つめた。

「まさか。あの一瞬のうちにあの女狐は計算したのだ。今は俺に貸しを作るほうが得策だと」

「貸し?」

「女狐は中央集権、つまり王家に権力を集中させる法案を通そうとしている。反対派の急先鋒がこの俺だ。あの証拠では俺を完全に追い詰めることが出来ない、ならばそれを利用して俺に貸しを作ろうと踏んだのだ」

「あんな短い時間で方向転換を」

「覚えておけ、宮廷ではそういう駆け引きも必要だ」

このひとはいったいどれほどの時間こんな際どい権力闘争の中に身をおいてきたのだろう・・・
とフェリシアは眉を潜めた。

邸に着くと心配顔のセバスチャンに出迎えられる。

「おかえりなさいませ。レムオン様」

「ああ。こいつの・・・いや、妹の部屋の準備を頼む」

「かしこまりました。ご首尾は上々とみてよろしいのですね」

「そうだな。現状ではこれ以上は望めないだろう」

「ようございました。さ、フェリシア様、こちらへ」



通された部屋は先ほどの部屋とは違い柔らかな雰囲気の装飾が施されてあった。
備え付けの家具も華奢なつくりのものが多く、かわいらしいデザインだ。

「疲れた・・・j宮廷って、なんか、魔物と戦うよりずっと疲れるかも」
自分で思ったより疲れていたのだろう。
久々のフカフカのベッドの感触に身を投げ出した途端フェリシアは眠りに引き込まれていった。