Walkure
 03

いい匂いのするシーツの上で目を覚ます。
「ん〜〜よく寝た・・・って、何!?」
分厚いカーテンから洩れる日が眩しくてフェリシアは目を眇め、やがてがばっと起き上がる。
ふと部屋を見回せば部屋の向こうはカーテンが開け放たれ、太陽が既に中天に達しているのが見えた。こちらが暗いのはたぶん、メイドが気を遣ってくれたのだろう。

「やばっ・・・もうあんなに日が高い!」

高い寝台から裸足の足をそろそろと下ろしスリッパを引っ掛けると、着替えはないかと辺りを見回す。

自分がいつも着ている冒険服を発見してほっとする。
白い長いネグリジェを脱ぐとそれを身にまとった。
考えた末、防具は身につけないことにする。
まだエストは戻ったどうかわからず今日会えるという保障もない。

これでエストにさえ会えば晴れて自由の身だ。
『妹』はあくまでも方便だし、旅に出てしまえばもう誰も自分のことは知らないのだから。
エストから闇の神器のことを何か聞けたらすぐにも旅に出よう。
少しずつ難しい仕事もこなせるようになっているし、セラは腕が立つし。
少なくとも兄ロイを見つけるまでは邪魔さえしなければ一緒に旅を続けてくれるはずだ。

「お目覚めでございますか?フェリシア様」

控えめなノックがしてセバスチャンの声が扉の向こうから響く。

「あ、はい、おはようございます・・・ってもうお昼ですね。寝過ごしてしまってすみません」

「いえ、レムオンさまが寝かせておくようにと言い付けられて登城なさいましたので、わたくしもお越ししませんでした」

「レムオンさんが?」

「はい、ですがフェリシアさま、それはいけません」

にこやかに執事がフェリシアを窘める。
「兄上様のことを他人行儀にお呼びになるなどと」

「え・・・」

「あなたさまはこのエリエナイ公爵リューガ家のご息女で白竜騎士、ノーブル伯爵であらせられるのですから」

「え・・ええ?それって昨日一日のことじゃなかったのですか?」

「もちろんでございます。王宮で爵位まで頂いたのですから、あなたさまは今後どちらに行かれても『ノーブル伯フェリシア・リューガさま』とおよばれになりますでしょう」

「そんな・・・そうだ、レムオン・・・さ、じゃない、兄さまは?」

セバスチャンに一瞬柔らかに『めっ』とされてあわてて言い直す。

「今日の政務は早くお済みになるということで直にお戻りでしょう」

「あの、エスト・・・兄さまからは何か」

「はい、事後の処理は一応終わったので、明日の夜遅く戻られるとのことでした」

「そうですか」

「すぐにお食事の用意をいたします」










「フェリシア様はロストールの街は初めてでいらっしゃいますか?」
給仕を受けながらフェリシアは頷いた。
「ええ。初めてです」

「では、少し街を散策されてはいかがでしょう」

「はい、そうします。宿に泊まってる仲間も気になりますし」

「そちらの方も当邸にご滞在なさればよろしいですのに」

「いえ、冒険者は基本的に街に入ったら単独行動が暗黙のルールらしいです」

「そうなのですか」

「そうらしいです」

食事は至極美味だった。
ミイスの村ではお目にかかったことがないような食材や、贅沢なソースに彩られた綺麗な盛り付け。
「当家の食事はお口に会いますか?何かお好みがあれば料理人にそう伝えますが」
「とても美味しいです。私には贅沢すぎるくらいです」
「それは何よりでございました。フェリシアさまがお気に召してくださったとあれば料理人もさぞ喜びますでしょう」

食事を終え、お茶を飲み干すとフェリシアは早速、街の宿へセラを訪ねることにした。
昨日、街の入り口で別れたなりなので心配をかけているに違いない。
もっとも心配していたところでそんなことはおくびにもださない男なのだが。

「では出かけてきます。街を方々見てまわりたいので」
「誰か護衛をお付けしましょうか」
「とんでもないです。私も一応冒険者なので」
「失礼致しました。それはわかっているのですが、あまりに可憐な姫君なのでつい・・・」
可憐・・おおよそ言われ慣れない表現にフェリシアの頬が真っ赤に染まった。
が、すぐにこれは執事の社交辞令というものだろうと思いなおす。

「い、いえ、気にしないでください。ところでこの街でぜひ見ておくといいというセバスチャンさんのお奨めの場所はありますか?」

「千年樹の広場はいかがです?あれは見事な木でございますよ」

「千年樹ですね?是非行ってみます」

「貴族街を抜けて平民居住地区に向う途中に広場がございますからすぐにおわかりになります。間違ってもスラム街にはお入りになりませんよう」

自分のことを心から乙女として心配しているらしい執事の言葉にフェリシアは素直に頷いた。
実際は冒険者である以上スラム街に臆してなどいられないのが本当だ。が、これはこの親切な執事にいう必要のないことだろう。

「はい、気をつけます」

「あら、フェリシア様お出かけですか?」

「ええ、街まで見物に」

「お気をつけて」

「ありがとう」

「早くお戻りくださいね」

「ええ」

すれ違うメイドたちにもにこやかに手を振るとフェリシアは身軽ななりで街に出かけた。









貴族の邸宅が立ち並ぶ広大な一角を抜けると大きな木が聳え立つ広場に出た。

「これが千年樹かぁ・・・さすがにおっきい」

刻まれた文字を読んだり、広場を行く人々の話に耳を傾けながらそぞろ歩いてみる。

ふと聞きなれない単語を耳にし、フェリシアは足を止めた。

『ダルケニス』

その言葉の持つ不思議な響きに興味を引かれ千年樹を見上げるふりをしてその会話に耳をそばだてる。

老人達の雑談によるとダルケニスというのはこのバイアシオン大陸の種族のひとつのようだった。
それは吸血種族なのだという。
冒険者によって狩られ随分希少になったが生き残った者の多くは人間族の社会に紛れて生活しているらしい。

「まぁ心配は要らないよ。冒険者のおかげでほとんどが絶滅しているらしいから」

旅をしていてリルピー、コーンス、ドワーフ、エルフと色々な種族に出会うことがあったけれどダルケニスにはまだ出会ったことがない。もっとも普段はまったく人間族と変らない姿を装う能力を持っていて一般には区別がつかないらしい。

「だがそのダルケニスが正体を隠すことが難しい日がある。新月の夜だよ」

恐ろしいことを告げる預言者のように老人はそう声を潜めた。

「新月の夜?」
「ああ。新月の夜、ダルケニスは吸血衝動を抑えきれなくなるらしい」
「銀髪に赤い瞳という本来の姿に戻ってしまうらしいのう」
「へぇ」

(銀髪に紅い瞳・・・)
確かに一度も眼にしたことのない容姿だ。

会話が一段落したようなのでフェリシアは止めていた足を再び動かす。
広場を後にし、店や宿、酒場が立ち並ぶ平民街に向う。

そのときのフェリシアはこの老人達の会話をこの大陸によくある噂話のひとつとして受け止めたに過ぎず、後に自分と『ダルケニス』が大きく関わることになるとは思いも寄らなかった。






宿に行くとセラは出かけていて、部屋にはいなかった。

主にあと二日ほどはリューガ邸に滞在すると伝言を頼み、街を見てまわることにする。
宿を出るとすぐ向いに酒場があった。

昼間のこととて客はまばらだ。
どこの酒場にもカウンターにリルピーが陣取っている姿はよく目にするが、例に洩れずここにもリルピーの姿があった。
とりあえず街の情報収集をするには酒場の主人と話すのが一番だ。
中でも様々な階級が出入りする宿屋のすぐ前にあるこの酒場の主人は話題も豊富で大陸中の噂話に通じていた。
店はフェルムというとてもかわいらしい少女が看板娘を勤めていることもあって繁盛しているらしい。

フェルムとはたちまち打ち解け、乙女らしい話に花を咲かせた後、フェリシアはギルドに向かう。ギルドで困り顔の主人から小さな女の子からの依頼を託された。

依頼主に会いに行くにはスラム街に行かなくてはならない。

執事の心配顔を思い浮かべフェリシアはくすりと笑った。

きっとセラはこの依頼を知ったら呆れた顔をしてお節介だと言うに違いない。

街の中での依頼は単独でこなすのが普通だ。例外もないではないが。
とにかく依頼主に話を聞くのは自分ひとりでも問題ないだろう…そう判断してフェリシアの足は再び広場に向った。

途中鍛冶屋や道具屋によってセラがいないか確かめてみたが彼の姿はなかった。

「まぁいいや」

王都として比較的豊かで整った町並みのロストールも広場を西に曲がり少し歩くと様相が変ってくる。建物は小さく古く、中には崩れかけている貧しい家もある。
スラム街だ。
区画整理されていない道は入り組み、貧しい服装をした子供がその道を走り回って遊んでいる。

ハンナという少女の家を探し、スラムを歩いていたときのことだ。
ふいに頭にスカーフをかけた小母さんに呼び止められた。

「そこのあなた、早く家に入って。タルテュバが来ます!」

「タルテュバ?」

「説明は後で!早く家の中に!!」

小母さんに促されて入った家には小さな少女に幾人かの男女が息を殺すように寄り添っていた。

「何・・・の騒ぎです?」

「貴族のヤツらは俺達を虫けらのように思っている。ああして手勢を連れては俺達を殴りにくるんだ」

「この辺りではタルテュバがスラムに向ったと聞いたら誰彼構わず手近な家の中に避難する事になってるんですよ」

「そうでもしないと何をされるかわかったもんじゃないんです」

フェリシアが窓の外を窺うと、道を数人の男が徒党を組んでのし歩いている姿が見えた。

「あのひとがあたしのお人形を取っていっちゃったの」
少女がぐすんと鼻をすすり上げた。

「じゃああなたがハンナ?」

「もしかして、お姉ちゃん、冒険者のひと?ギルドの張り紙を見てきてくれたの?」

ぱっと顔を明るくしたハンナの目線に合わせるようにフェリシアは腰を屈めた。

「ええ。くわしいお話を聞かせてくれるかしら」

一生懸命話す幼児の説明はわかりにくかったが、ハンナから人形を取り上げた男は間違いなくタルテュバであり、この辺りの人々に大変迷惑がられている存在であることはよくわかった。

外ではそのタルテュバが隠れる住民達に業を煮やし、リベルダムで発明されたという新型人造魔物を嗾けると人々を脅している。

あの魔物が暴れたら家も無事ではすまないだろう。
かつてミイスでは兄の留守中魔物から村を守るのはフェリシアの役目だった。
剣の柄に手をやりながらフェリシアはドアを出ようとする。

「待って!もしかして戦うおつもりですか?」

「ええ。とにかくあの魔物を止めなければ」

「そんな!危険です」

心配してくれる小母さんやハンナに笑顔を見せるとフェリシアはみすぼらしいドアを開けて外に出た。









「貴様、俺様を誰だと思っている!?七竜家の名門リューガ家のタルテュバ・リューガ様だぞ」

(リューガ・・・ってレムオンさんと同じ名字じゃない!)

親戚・・・まさか兄弟なんてことはないでしょうねと一瞬冷や汗が流れる。
それをフェリシアが怯んだと勘違いしたタルテュバは居丈高に罵った。

「ふん、リューガの名を聞いて臆したか。俺はいずれ従兄弟たちを引き摺り下ろして公爵家を継ぐ人間だ。恐れ入ったか、この虫けら」

どうやら彼に引き摺り下ろされる予定の従兄弟と言うのはレムオンとエストのことらしい。
フェリシアは年上か年下かは知らないがこんな暗愚そうな従兄弟を持ったレムオンを心底気の毒に思った。
宮廷内でも一族の中でも敵に囲まれているとはよくよく苦労が耐えない人だと。

ここで新しくリューガ家の一員となった自分が騒ぎを起こすのもどうかと思ったが、目の前の男の浅薄さは耐え難い。

フェリシアはすらりと剣を抜いた。
昨日貰った盾は邸においてきてしまったが。

「かかってきなさい。このリューガの恥さらし」

「なんだと」

タルテュバは自分も剣を抜く。が、かかってはこず人造魔物を嗾けてきた。

「・・・!」





魔物は弱かった。
費用をケチって安物買いをしたのかと聞きたくなるほど弱かった。

そしてそれを操るタテュルバも弱かった。

「ははは、助太刀もいらなかったな。嬢ちゃん」
豪放磊落な笑い声がして一人のがっしりした男が近づいてきた。

「タルテュバさんよ、あんま、従兄弟を困らせてやるなよな。大概にしないとあいつも気は長いほうじゃないぜ?」

「お前は・・・ファー」
「おっと、いいのか?俺の名前なんか口にしてよ」
「覚えていろ!」
お決まりの捨て台詞を残してタルテュバは逃げ去った。

「しまった!聞きたいことがあったのに」

「なら、こいつに聞けよ。ほらよ」

ゼネテスは逃げ遅れたならず者を捕まえひょいとフェリシアに引き渡した。

「あの男が女の子から取り上げたお人形について聞きたいんだけど」

「し、しらねぇ!しってても教えられねぇよ!喋っちまったとわかったら何されるか・・てっ」
フェリシアに腕をひねり上げられ男が悲鳴を上げる。

「おいおい、嬢ちゃん結構キツいね」
「言いなさい。人形はどこ?」
「言えネェ・・・タルテュバが人形を女への贈り物にしたなんて。しかもそれがティアナ王女だなんて死んでも言えネェ」

「ティアナ王女・・・」
フェリシアは困惑した。
相手は王女。あの王城の深窓の姫君。
どうやって近づいたらいいものか。
が、傍にいる見ず知らずの男は面白そうにニヤリと笑った。

「ふぅん、ティアナ王女ね。な、あんた、もう離してやれよ。この男はそれ以上は何も知らないさ。おまえさんもこれに懲りたらタルテュバとつるむのは辞めるんだな」

「わかったよ。剣狼ゼネテスを敵に回したくはねぇからな」

「剣狼ゼネテス?」
男を離してやりながらフェリシアはまじまじと剣狼と呼ばれた男を見つめた。たしかに腕が立ちそうだ。飄々としていながらまったく隙がない。

「おや、知らないか、お嬢ちゃん。ってか、俺もまだまだ大したことないねぇ・・・ま、いいか。俺はゼネテス。冒険者だ」

「冒険者ゼネテス・・・。あ、私は」

「知っているさ。冒険者フェリシア。まだ駆け出しってとこだよな?」

「ええ」

悔しいが本当のことである。
「なかなかいい眼をしてるな嬢ちゃん、ところでどうするつもりだ?」

『いい眼をしている』それは昨日王妃にも言われた言葉だった。
ふいにこのごつい男と昨日の美しい王妃が重なるのはどうしてだろうと訝しく思う。

「この依頼遣り通す気はあるのか」

「なんとかやってみます」

時間はかかるだろうが王宮へはそのうち行く機会もあるに違いない。それを利用してなんとか王女に近づけないだろうか・・・。ハンナに少し待ってもらうように頼んでみて・・・。

「おいおい、王宮に忍び込むつもりか?・・・ひとつだけ方法がないでもないんだけどな」

「え?」

「城には秘密通路ってのがあってな。その入り口が城壁のどこかにあるらしい」

「秘密の出入り口が?」
それならば話は早い。そこをみつけて王城に侵入すれば・・・。

「だが普通に行ってもその入り口は見つからない。魔法で守られているからな。それを解除するのが、この鍵だ」

「銀の竜?」

手渡されたペンダントは銀の竜の意匠が施されていた。
細工といい一目で高価なものだとわかる。

「おまえさんにやるよ」

「ええ!?」

「これをつかえば秘密通路が開く。城内に通じる秘密通路がな」

ごくりとフェリシアの咽喉が鳴った。これが本物の鍵として、そこからどうすればいいのか。
はたしてティアナ王女の住まう部屋まで無事たどり着けるのか・・・。

「まぁ心配しなさんな。いざとなったら助けに行ってやるさ」
余裕綽々でゼネテスはそういうとひらひらと手を振って酒場に消えていく。

フェリシアの手には小さな、しかし重い銀の竜が残った。







王宮の庭の小道は市民にも開放されてはいるが、人が少なくフェリシアを咎めるものも居ない。貴族と平民の身分差が歴然としているこの街では王宮に近づく市民は少ないらしい。

ゼネテスに教えられた辺りに向うと半信半疑で銀の竜のペンダントを掲げた。

魔法に守られているという秘密通路を開く鍵だ。

不思議な光にに包まれた塀がぱっくりとやがて口を開く。

恐る恐る暗い通路を進むとやがて階段がありその上に石造りのドアが見えた。
どうやらここが隠し通路の終点らしい。
ドアは二つあって片方のドアは通路は崩れて通れなくなっていた。
が、崩れた積み石のおかげでよじ登ればなんとか向こう側のドアにもたどり着けそうだ。

どちらにいったものか。

少しの間思案してフェリシアはままよと勘に従い入り口近くのすなわち階段から直接通じるドアのほうを思い切って開けた。

ドアの向こうは暗かった。ほんの先にある行き止まり、木で出来た隠し扉を押すとその先はクローゼットの中らしいということがわかった。城内に住まう人間をいざというとき外に退避させるための隠しドアだ。

ドアをあければその部屋には人がいるかもしれない。
フェリシアは慎重に部屋の中に進入した。

「誰です!?」
震えながらも凛とした声が響き、一人の少女がそこに立っていた。
どうやらこの部屋の主らしい。
あきらかに驚きおびえている少女にフェリシアは敵意のないことを示すようにさっと片膝を床につけ一礼した。。

「突然の失礼をお詫びします。どうしてもティアナ王女にお会いしたくてお訪ねしました。どうか内密に王女に取り次いでいただけないでしょうか」


美しい少女だった。
長く垂らした金色の髪には美しい黄金の髪飾り。
淡いグリーンのドレスが大層髪に映えている。

「王女に・・・?何かわけがおありのようですね」

少女は賢そうな表情で考えをめぐらすようにフェリシアを見つめた。

「わかりました。衛兵を呼ぶのは簡単なことですが、あなたはそんな悪い方ではないようです。お話を伺いましょう」

「ありがとうございます。じつは・・・」

フェリシアはタルテュバの一件を掻い摘んで説明した。少女はそれをじっと聞いていたがやがて声を立てて笑った。

「あの方にしては珍しく趣味がよいと思ったのです。ですが、そのような大切なものを・・・。本当に酷い方。わかりましたわ。少しお待ちください」

そういうと少女は部屋の片隅に置かれた棚から人形を取り出した。

「黙っていてごめんなさい。私がティアナです。このお人形はお返ししますわ。その少女にはティアナが謝っていたと伝えていただけますか」

「はい、ありがとうございます。ティアナ様」

「冒険者様。お名前をお聞きしてもよろしくて?」

「はい。私はフェリシアと申します」

「フェリシア様?もしかしてあのノーブル伯フェリシア=リューガ様ですか」

「ご存知…なのですか」

「ええ。もちろん。あのレムオン様の妹様でございましょう?噂では兄君がとても大切にされて今まで宮廷からはお隠しになっていたという・・・」


そういう話になっているのかとフェリシアは驚いて眼を丸くした。

「どうかなさいまして?」

「いえ、よくご存知だと思いまして」

「もちろん。レムオン様の妹君が凛々しい女伯爵でロストール始まって以来の女竜騎士だということはもう宮廷では持ちきりの噂でございます。公爵様に直接、あなたのことを尋ねる方も後を絶ちませんが、よほど貴女が大切なのでしょう。ほとんど相手になさいません」

それはボロをださない為以外の何者でもないのだが、皆はそうは思わないらしい。

「中には妹君を冒険者にするなどと・・・と影で悪く言うものもいるそうですけれど、レムオン様は本当にあなたに甘くていらっしゃるのですね。妹には好きにさせたいのだと仰って」

「不肖の妹で兄にはいつも迷惑をかけております」

「あら、とても楽しそうですわ。あの方」

くすくすとティアナは笑う。

「私は幸運でしたわ。こうして噂のノーブル伯フェリシア様にお会いできたのですもの。でもどうしてこんなクローゼットからお出ましになりましたの?」

「それは、正面からお尋ねすると・・・」

「そうね。門番はまだ貴女のお顔を覚えていないでしょうし、ルプルグ伯の不行状を公にするのはリューガ家のためになりませんものね」

一瞬ティアナの表情が先日見た王妃と重なる。
さすがは母と娘だ。

「本当にフェリシア様はお兄様思いでいらっしゃいますのね」

「恐れ入ります。できればこのことは兄にも御内密にお願いしたいのです。その、兄に余計な心配をかけたくありませんので」

「承知しました。今日のことはなかったことに致しますわ。次にお会いするときが私達の初対面ですわね?」

「ありがとうございます」

そのとき、部屋の外で足音がした。

「王女様、陛下がお呼びでございます」

「わかりましたすぐに参ります。フェリシア様、私は行かなくてはならなくなりました。どうかそのお人形の持ち主の少女にティアナが詫びていたとお伝えくださいね」

「はい。伝えます」

「また、訪ねてくださると嬉しいです。今度は正面からお通しできるよう衛兵に伝えておきます」

「ありがとうございます。またお訪ねします」

必ずですよと言いおいてティアナ王女はドアから軽やかに出て行った。

フェリシアもクローゼットから外へと出る。

(よかった・・・良い方で。ハンナもきっと喜ぶわ)

疲れてはいたがフェリシアはその足でリューガ邸を素通りしスラム街に戻った。













ハンナに人形を渡し、リューガ邸に戻ると執事のセバスチャンににこやかに迎えられる。

「おかえりなさいませ、フェリシア様。街は楽しまれましたか」

「え。えっと・・・はい」

楽しかったどころではなかった。たぶん親戚筋に当たる男と乱闘し、しかも得体の知れない男からは王宮に忍び込む術を与えられる始末。あげくには王宮に忍び込みボロを出す危険を冒して王女と会ってしまった。
レムオンがそうと知ったらどれだけ怒ることだろう。

「じつはレムオン様がお戻りで書斎でお待ちでございます」

「ええ?」

ここで執事は小声になった。

「スラムでの騒ぎ、お耳に入っておりますよ」

「・・・・ぐっ!」

逃げ出したい衝動に駆られてフェリシアは身を竦めた。
いずれはバレると思ってはいたがこうも早いとは。
実兄ロイがいたって温和なタイプなだけに新しい義兄レムオンの辛辣さは余計に身にしみる。

「大丈夫でございますよ。貴女様なら」

くすくすと笑いながら執事はフェリシアを書斎へと連れて行く。

「がんばってください。フェリシア様」
「は、はい」


ノックの音が響くと同時に「入れ」という不機嫌な声が響く。

「フェリシア様をお連れ致しました」

ギロリと睨まれてもセバスチャンは涼しい顔だ。

「お嬢様、こちらにおかけになられては」
フェリシアをソファに座るように促すと「ではお茶の用意を言いつけてまいります」と言いおいて部屋を辞す。

「セバスチャンさん」

すがるようなフェリシアを柔らかく制すると口を動かすだけで『大丈夫でございますよ』と繰り返した。

「・・・」
ため息を聞こえぬように圧し殺しておずおずと言われた場所に腰掛ける。

ペラリと紙をめくる音とペンを走らせる音だけが聞こえる。
やがて地の底を這うような低く不機嫌な声音が響いた。

「・・・随分ハデに立ち回ったようだな」

「す、すみません」

「リューガ家の姫が街中で剣を振るうとは」

「・・・・」

「何か言い訳することは」

「あのタルテュバっていう人はレム・・・兄さまの身内の人ですか」

レムオンは汚いものを思い出すかのように眉を潜めた。がすぐに平静な表情に戻りペンを再び紙に走らせる。

「不肖の従兄弟殿だ」

「あのひとはスラム街の住民達にひどいことをしていて皆、とても脅えているんです」

「従兄弟殿の不行状は俺の耳にも入っている。あのままではいずれは自滅することになろう。貴様が手を下す必要はない」

「そんな!あのひとが自滅するまでスラムの人たちに我慢しろっていうんですか?」

「・・・。そんなことは言ってはいない」

「言っています!あのひとはリューガの名前を嵩にやりたい放題やってます。今日だって!」

「・・・わかっている。だが正義感だけでこの街に巣喰う腐った貴族どもを根絶やしにするわけにはいかないのだぞ」

「私は、困っている人を見過ごしはできません。それに街の一部の人々は貴族やことにリューガ家という名前にすでに恨みを抱いています。」

「まさか、おまえ・・・いや、いい。・・・昨日の今日でもうリューガ家の一員としての使命に燃えているわけか。随分心がけの良い妹だな」

厭味な言いざまにフェリシアの顔が青ざめる。
急に貴族に取り立てられた冒険者が調子に乗っていると揶揄されたと感じたのだ。

「違うっ!あなたは何もわかってない!レムオンさんのバカ!」

部屋から走り出すフェリシアに唖然としてレムオンは持っていた羽ペンを取り落とした。
書類にインクの染みができる。

「な、なんなのだ。あいつは」

エリエナイ公であるレムオンを正面きって罵る人間はそうは居ない。
優雅に見える貴族のくらしだが、じつのところはそうではない。
悪意のある棘を美辞麗句で覆い隠しちくちくと厭味の応酬をする、そんなドロドロとした生活にレムオンは少年の頃から慣れきっていた。少しでも弱みを見せれば途端に付け込まれる・・・そんな殺伐とした毎日だ。
が、そんな暮らしは当たり前になっていて、幼馴染の王女ともどこか厭味の応酬を楽しんでいる節がある。

それを、あの少女はいとも簡単にぶち壊す。
直接的な言葉で、本能的な衝動でレムオンの胸に直接語りかけてくるような・・・。

レムオンにとってはごく普通の応酬が酷くフェリシアを傷つけてしまったらしいということだけは理解した。
なんといっても彼女は自分が苦境を脱するために利用した恩人である。
そしてひっくりかえせば最大の弱みでもあった。


「俺が・・・悪いのか?」
お茶を運んできたセバスチャンとメイドが申し合わせたように大きく頷く。

「お茶はあとで入れなおしますからすぐにお嬢様の元においでください」











闇雲に走っただけに広い邸内で与えられた寝室に間違いなくたどり着いたのは奇跡的だった。
ベッドに身を投げ出すとフェリシアは悔し涙を流す。

(だけど・・・あの人は貴族なんだ。何よりも体面を重んじる・・・)

リューガ家は七竜家の中でも王家と血縁関係があり王位継承権をもつ名門だと聞いたばかりだったのに。庶出とは言えその名門の末の姫が貴族相手に乱闘したとあってはたしかにレムオンには迷惑千万なことであっただろう。

しかも対外的に敵の多そうなレムオンである。後ろ盾となるはずの一族と悶着を起こすのはどう考えてもまずいだろうということは門外漢のフェリシアにもわかった。

「どうしよう・・・凄く悪いことをしちゃたのかな」

だが、あのタルテュバという男の浅薄さにどうにも我慢がならなかった。
しかも、リューガの名を嵩にきているところに余計に腹がたったのかもしれなかった。

おまけにあの男はレムオンを引き摺り下ろしリューガ家の当主になると言い放った。

「あんな男が当主になったらこの町は無茶苦茶になってしまう」

幼いハンナの泣き顔や脅えた町の人々、何よりも俄仕立ての義兄の顔が眼に浮かんだのがあの男を許せなかった最大の原因だったのだと思う。

「なのに、レムオンさんのバカっ!おたんこなす!」

「・・・兄と呼べと何度言えばわかる」

突然背後から聞こえた不機嫌な声音にフェリシアは弾かれたように顔を上げた。
「・・・レム・・・」
フェリシアの上げた声は低くゆっくりと訂正される。

「兄だ」

「兄さま・・・」

レムオンはひとつため息をつくとフェリシアが座りなおしたベッドの傍らに立った。

「おまえがリューガ家の名誉を守ろうとしたことは評価しよう。あの面汚しを野放しにしているのは確かに俺の失策だ」

「・・・。」

「怒っているのか」

「・・・違うんです」

「何が違うのだ?」

「・・・引き摺り下ろすっていったんです」

「・・・」
レムオンの眼が一瞬見開かれた。

「あのひと、あなたを引き摺り下ろすっていったんです。いずれは自分がリューガ家の当主になるんだって」

フェリシアの言葉に瞑目していたレムオンの瞼がゆっくりと上がり、茶色い瞳が彼女を捉えた。

「知っている」

「・・・知ってて放っているのですか」
驚きを隠せないフェリシアに兄は不敵に笑ってみせる。

「あの男に何ができる。俺の家にも家族にも手は出させん。もちろん、おまえにもだ」

最後の一言にはいっそう力が篭っていた。

「レ・・・兄さま」

「後日、俺のやり方であの男には報復する。二度とスラムには近づきたくないと思うようにな」

「兄さま」

「一族に抑えが利かぬようでは俺もまだまだだ」
と自嘲したかと思うと急に真剣な眼差しで
「だが」
とレムオンは続けた。

「俺は負けない」

「兄さま」

「あまりお転婆な妹も考えものだな。気が休まらん」

「タルテュバは私のことはまだ知らないと思うのですが」

「心配いらん。リューガ本家の姫が冒険者で、街でならず者を退治したという話はすぐに宮廷に広まるだろう」

「じゃ、やっぱり兄さまに迷惑が」

「あの男は馬鹿だが、プライドだけは一人前だ。自分が年下の従妹に負けたなどとは認めたがらないだろう。それに俺に抗議する勇気などは持ち合わせぬだろうしな」
きたところで潰すまで・・と不穏なことを呟くと兄は妹の頭をぽんと撫でた。

「だから気に病むな」

「あ・・・」

それは実兄ロイがよくした仕草で。
フェリシアの胸がきゅうと痛む。

兄が見つかるまでこのひとの妹でいてもいいかな、フェリシアはそう思った。
不遜で傍若無人で。実兄ロイとはまったく違うタイプの義兄。
だが、このひとは何かに飢えている。
そう思えた。

せまいロストールの貴族社会で何かを守ろうとして必死に戦い続けている。
そして自分は行方知れずの兄を探して大陸中を旅する身だ。

まったく接点のない二人だが、心のどこかで何かが触れ合った・・・フェリシアはそんな錯覚を起こしていた。




部屋を辞そうとして俄仕立ての兄は『そういえば』と呟いた。

「大事なことを聞き忘れていた」

「なんですか?兄さま」


『その』と毒舌な彼にしては珍しく言い淀む。

「・・怪我はなかったのか?」

フェリシアは嬉しくなって微笑んだ。



「・・はい、大丈夫です。兄さま」

「そうか。では早く休め。明日は付き合ってもらうところがある」

「え?」

また宮中だろうか。この兄は人使いが荒い。
そういう思いが顔に出たのだろう。

「そう嫌そうな顔をするな。宮廷ではない」

「そ、そうですか」

あからさまにほっとした妹に兄は気難しく眉間に皺を寄せた。

「いずれそちらのほうも慣れてもらわねば困るぞ」

「う、努力します」